飛火野

一の鳥居から飛火野を抜け、春日大社の本殿へ参る。
君と幾度か通った道。
帰り道は二の鳥居から脇へ、囁きの小径へと歩を進める。
馬酔木の森の密やかなるを、互いの息吹の感じるほどに肩を寄せ歩く。
それも今日が最後、いつになく二人押し黙り。
この道の果てる事無きを望む僕と沈黙に圧し潰されそうな君と。
この束の間、今や通わぬ心を恨めしくも愛おしく思う。

 

ふと思う。
何度目に通った頃からだろうか。
僕ら二人が寄り添い歩いているふりをしていたのは。
鹿苑より鹿の音響くを、上の空に聞く。
互いに憎んではいない、と信じたい。
ただすれ違い、離れていっただけだと。
元の他人に戻るのだ、ただそれだけだ。

 

だがせめて、この小径の終わるまで。
離れた心の穂を拾い集めさせてくれ。
人の心のまよい木の、馬酔木の森の抜けるまで。



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Including
〈 息吹 〉
アセビ(馬酔木) 〉
〈 つかぬ間 〉

遺構

こちらです。足元に気を付けてください」
 道案内のハッサンに導かれて通された小さな部屋は白い大理石が敷き詰められていたが、ただ2か所だけ黒の大きな御影石となって、そこにこの部屋の主が眠っていることを暗示していた。一枚の御影石の元にはほぼ等身大と思われる彫像があり、慈しみの表情を浮かべているように見える。その表情は神々しく、何人も汚すことができない、そういった雰囲気をたたえていた。
詩編の通りだ。間違いない、ここがそうだよ」
 私は興奮を隠しきれず、ひとり呟く。
「本当に詩編の通りだとしたら、」
 相棒のロバートソンが、あまり関心もなさそうに話しかける。
「財宝の類は当てにできないね。なにせ、王は『財産のなにもいらないと』民の命乞いをしたんだからね」
「そうなるね。だがこれで、この辺りに当時の宮殿かそれに類する遺構が眠っている可能性が出てきた。それだけでも価値があると思わないか?」
「ふん。僕にとっての関心事は、この調査が割に合うかどうか、だけだよ。今のところ大赤字だ。スポンサーになんて説明しようか頭が痛いよ」
 ロバートソンの言うことも分かる。しかし私はこの発見の興奮に既に我を忘れていた。
「この彫像だけでも持って帰れば、スポンサーに申し訳が立つだろう。それで次の大規模調査への渡りをつけられないかな」
「おいおい、これを持ち出すつもりか? 『盗人さえも持ち去ることをためらった』んだぞ?」
「考古学的見地からも美術的見地からも、これは人類の財産とすべきだよ。それにこれは我々の成果物だ。持って帰ろう」

「やはりそういうことですか。像を持ち出すつもりであるなら、案内はここまでです」
 部屋の入り口に立っていたハッサンが、低いがよく通る声で言った。
「私はこれで戻ります。それでは。……そうそう、ここは試練の部屋と呼ばれています。我々とて、神聖なる王の住処にいきなり客人を通すようなことはしませんよ。それと、そこのそれ、彫像だとお思いですか?」
 おい、と私たちが声をかける隙も許さず、ハッサンは素早く部屋を出、重い石の扉を閉ざした。
 私たちのいるこの小さな部屋を闇が支配する。
「おい、ハッサン! 冗談はやめてここを開けたまえ!」
「ハッサン! おい! 早く開けるんだ!」
 私たちは口々に叫んだが、扉の向こうに届いている保証もない気がした。恐らくハッサンはもうこの場にはいないだろう。であればすることは、この扉を開けることだが、扉はあまりに重く、動く気配もない(ハッサンはどうやって閉めたのだろう?)。汗が滝のように流れる。決して暑いからだけではない。

 ……ぴし、……ぱき

彫像のあるであろう方向から何かが割れるような音が響く。灯りを、何か灯りをと、衣服を弄りオイルライターを探す。がその時、くぐもった悲鳴のような声が響く。声の主はロバートソンだ。やっとのことで見つけたライターに、数回しくじりながらも火を燈す。薄暗い灯りが照らし出したもの。彫像、いや彫像と思われたものが縦に裂け、何かが這い出たかのような粘液の跡。あたかもそれは、羽化を迎えた後の蛹の如くに。その先に、ロバートソン。が、彼の顔はすでに土気色をして、理不尽な恐怖を顔に張り付けている。
 と、その時不意に首筋に焼けた釘を突き刺されるような痛みを感じた。そしてそのまま意識が薄れていく……。



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Including
〈 道案内 〉
〈 羽化 〉
〈 汗 〉

名もなき詩人より伝承された詩編(断片)

むかしむかし、その昔
砂漠の中のとある国
王様突然こう言った

 

「急いで御殿を建てなさい
 愛しい姫の住まう家」

 

みるみる御殿は出来上がる
王様とても上機嫌
姫は喜ぶ素振りだが
寝床で臥せっているばかり
王様さらにこう言った

 

「御殿を華麗に飾りなさい
 愛しい姫に相応しく」

 

みるみる御殿は飾られて
王様さらに上機嫌
姫様日に日にやせ細り
まだまだ臥せっているばかり
王様おろおろし始めた

 

ある日姫様旅立った
遠いお国へ旅立った

 

王様とっても悲しんで
とこしえ姫を住まわせた
華麗な御殿に住まわせた
王様最後にこう言った

 

「御殿に像を納めなさい
 愛しい姫の生き写し」

 

なかなか像は仕上がらず
王様とても不機嫌で
ようやく満足いく像が
御殿に置かれたその時に
隣の国が攻めてきた

 

王様の国は疲れてた

 

王様自ら進み出て
民の命を乞うたとさ
私は死んでも構わぬと
財産のなにもいらないと
ただ一つだけ望むのは
私の骸を姫の隣に
横たえてくれればそれでよい
最愛の姫の隣でずっと
眠れるならばそれでよい

 

御殿の飾りは奪われて
そのうち御殿もなくなって
小さな庵のその中に
姫様生き写しの像が一つ
二人の墓の枕元
凛と立っていましたとさ

 

その立ち姿は神々しく
新しい国の主でさえも
引き倒すのをためらった
意地の汚い盗人さえも
持ち去ることをためらった



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Including
〈 最愛 〉
〈 神々しい 〉

秋桜

「今日は月が綺麗だからね」


 彼はただ一言そう言って、里山里山の合間、民家の明かりも見えない谷津の奥に車を停めてから、私の手を引いて歩き始めた。月明かりが踏み分け道を照らしているけど、それも次第に木々の影となり、懐中電灯の明かりだけを頼りに、だんだんと奥へ奥へと向かっていく。梅雨の合間。ぬかるんだ道。不安。こんな足元も覚束ないようなところへ連れてくるなんてなにを考えているんだろう。歩き始めてから彼は一言も喋ろうとはしない。不安。確かに最近、二人の仲はうまくいっていないような気がする。私は疲れからか、彼のすることがいちいち癪に触っていて、彼はそんな私の態度を見ると、急に押し黙るようになった。昨日に至っては、彼は私と一言も口を利いていない。何か思いつめた感じすらある。ずっと自分のPCに向かい合っている。

 


 不意に彼が立ち止まる。それにぶつかりそうになる。
 目の前に広がる一面の、季節外れの秋桜
 月明かりの下、鮮やかではないが銀色に輝き、吹き渡る風に優しく波を打つ。

 その幻想的な風景に、息を呑む。

 


 この景色を見せたかったんだ。

 もう少しここで秋桜を見て居よう。
 なぜこの時期に秋桜が咲くかって?
 本当は人の心の闇を吸って花が咲くんだ。昔、妻の浮気を疑った男が、実家から帰る妻をここで縊り殺して躯を埋めたんだってさ。それがちょうど今の時期で、それからというものの、妻の好きだった秋桜が一面に狂い咲くんだってさ。旦那はどうなったかって? 妻の躯を埋めた後、ここで自害したって。妻の躯と旦那の血、この二つが花を咲かせているんだね、きっと、そういうことなんだよ。

 

 

 それじゃ、そろそろ。

 



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Including
〈 狂い咲き 〉

 

あの日

 あの日。
 そうだ、財布を忘れて家を出てしまって、いつも乗る電車に間に合わなかったんだ。一本後でも始業までには楽勝で着けるようにはしているから問題はないんだけど、常に乗っているのとは違う電車、というのはどこか居心地が悪い。まあそれもK駅までだ。そこで乗り換えればまたちょっと気分も違うさ。

 

 あの日。
 どうしても早くに片づけてしまいたい作業があったので、いつもより早めに家を出た。2本早い急行に乗る。2本早いだけなのだが、こうも混み具合が違うものか、と驚く。これだったら、毎日この時間でもいいか。とにかく、混雑した車内は、無駄に体力をそぎ落としに来る。それがたまらなく鬱陶しいのだ。間もなく、N駅に着く。乗り換えだ。

 

 あの日。
 K駅で地下鉄に乗り換える。この駅始発の列車があるので、運が良ければ座れる。いつもより2本後、かな。車両の真ん中のほうになったけど、何とか座ることもできた。H駅までひと寝入りできるかな。

 

 あの日。
 N駅で地下鉄に乗り換える。銀色の車体が日に当たりすこし眩しい。H駅までそこそこの距離があるので、一通り作業の内容でも頭の中で整理しておこう。

 

 あの日。
 列車はI駅で足止めを食ったまま、動く気配もない。何か事故があったらしいが、詳しいことはわからない。何とか遅れるとだけでも連絡を入れたいのだけれど。最悪、最寄りのJR駅まで移動するしか。

 

 あの日。
 H駅を降りて、事務所に向かう。春というにはまだ幾分か涼しい。だが事務所までの10数分、歩くには心地いい陽気だ。
 事務所に着いたら、いつも朝早い事務の子が涙目で飛びついてきた。……な、何事だ?

 

 あの日。
 JRのU駅へ何とか移動をした。そのあたりで、状況をなんとなくだけど理解した。いや嘘だ。理解なんかできていなかった。そんな馬鹿なことが現実に起こるなんて。

 

 あの日。
 事務の子から、大丈夫だったんですか、なんともないですか、と何度も聞かれた。早く来たのがそんなに意外だったんだろうか、それにしても涙目になることはないだろうに。と、奥の応接室にあるテレビから音が漏れ聞こえている。どうやら都心の地下鉄が運転見合わせになっているらしい、それもかなり大規模に。私が乗ってきた、あの、銀色の地下鉄もご多分に漏れず止まっているようだが、なんだ、この映像は。本当にこれは日本で起きているのか。

 


 あの日。

 あの日。

 

 地下鉄線内を、絶望が駆け抜けた。
 1995年、3月20日。
 地下鉄サリン事件



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Including
〈 地下鉄 〉
〈 絶望 〉

台詞しかない茶番劇

「ここまでだ、もう逃げ場はないぞスムース・オストアンデル!」
「くっ、もう後はないか。……しかし、なぜ滝だ? こういう場合、崖とか採石場じゃないのか」
「リスペクト、ってやつだ」
「何のだ」
「技の1号、力の2号」
「風車が回るやつか」
「そういうことだ」
「私とて、ただやられるわけにはいかん。行くぞ、この爪の一撃を受けてみよ!」
「そういうわけにもいかん」
「……ちょっとくらい、俺にも見せ場をくれよぉ」
「当たると痛いじゃないか、お前の爪でかいし」
「仕方ないだろう、生まれつきなんだから。人の身体的特徴をあげつらうのは失礼だぞ」
「まあ、私に倒されるのは、定めと思ってあきらめることだな。行くぞ!」

 なんかわからんがとにかくすごい技がさく裂っ!!

「ぐわぁーーーーーっ! って貧弱かっ!弱っ!」
「なぜ倒れない! さては貴様、強化怪人だな!!」
「いやそうじゃなくて。お前が貧弱なんだよ!」
「……あのさあ、空気を読もうよ。こういう場合、ヒーローが華麗に怪人を倒して決めポーズを取るっていうのが流れだろ? 君も怪人やって長いんだろ? そのくらいは配慮してくれないとさ」
「……あ、なんかすいません」
「もう一回行くぞ?」

 なんかわからんがとにかくすごい技がさく裂っ!!

「わーやられたー」
「あまりに棒読みだが、まあいいか」

 

「……スムース・オストアンデルがやられたか」
「……奴は我ら四天王のうちでもまだまだ小物」
「……いや、実力的にはナンバーワンだったんじゃね?」
「しーっ。こう言っておかないと格好付かないだろ?」
「俺ら、スムース・オストアンデルと違って、政治的駆け引きと年功序列で四天王になったんだしな」
「でさ、この後どうする? あの貧弱ヒーロー、調子に乗ってここに乗り込んでくるぞ」
「みんなやられることになるなぁ。フリだけど」
千羽鶴でも折ってやったら、許してくれないかな」
「無理だろうなぁ」

 


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Including
〈 滝 〉
〈 爪 〉
〈 鶴 〉
〈 定 〉

Rouge

 シンプルな3ピースバンドが、
 シンプルなブルース進行で演奏を始める。
 それに重なる、囁くような彼女の歌声。
 決して美しい声ではないが
 聴いている者たちはみな心を奪われていた。
 
 僕はただ、少し昔のことを思い出していた。
 雨に打たれインクの滲んだ便箋のように、
 輪郭さえもはっきりしない昔の思い出。
 僕は雨に打たれていた。
 彼女と別れ、打ちひしがれていた。
 
 そのままどこかのバーに入ったんだろうか。
 何か強い酒が欲しかったのか。
 銘柄は何だったんだろう、もう忘れたが、
 何かバーボンをショットで
 それで喉を焼いていた。
 
 ”天国のレミーに!”
 
 遠い席で声がした。
 ジャック&コークを高く掲げ
 そして一気に呷る男がいた。
 誰だ、レミーって。
 
 ”もう、今は亡きロックスターよ”
 
 耳元で女の囁く声がした。
 いつの間にか
 黒いタイトなサテンのドレスに身を包んだ女が
 僕の隣に座っていた。
 そして、僕の口にその紅い唇を重ねた。
 
 彼女はケタケタと笑い、
 魔よけのおまじない、と言った。
 
 そして言葉が啓示のように降りてきた。
 人生はシンプルだ。
 余計なことは削ぎ落して考えるんだ。
 オッカムの剃刀だよ!
 
 今となっては、
 どこまでが本当で
 どこまでが幻想かもわからない。
 
 ただ、言葉はきっと真実だ。
 人生は、シンプルだ。
 
 演奏が終わり、僕の意識もこのライヴハウスに戻った。
 スタンディングオベーションが渦巻く中、
 ステージの真ん中で微笑む彼女の
 紅い唇に目を奪われていた。



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Including
〈 滲み 〉
〈 囁き 〉
〈 重なり 〉