美味い店

温泉街の緩やかな坂を下っていくと、右手に小さな食堂があった。 食堂の入り口は小さなショーケースとなっていて、持ち帰り用ののり巻きやおはぎなどが、数多くではないが並んでいた。 私は知っているのだ。こういった店は大概、美味い。 中に入ると、一人、…

とても短い物語

「さっきテレビで解説をしていたコメンテーターのさ、後ろに映っていた書架の二段目に、幻獣召喚の魔導書が一冊だけ置いてあったんだけど、気付いた?」

ホクトベガの話

ある人は彼女について、「ジンタが似合う」と評した。なるほどその通りだ、と思う。 成績だけで見えてくるものではない、彼女の駆け抜けたその生涯は、哀愁と呼んでよいのかもしれない。 そんな馬、ホクトベガの話をしたいと思う。 初めて彼女の名を知ったの…

送別会

その人とは、それほど仲がよかったわけではない、むしろ嫌われていると思っていたくらいだ。僕のいる社内のサービスカウンターに来るときはいつもむっすりしていて、たまに口を開くときには僕たちに対するクレームばかり。正直なところ、ちょっと苦手な女性…

ちょっとづつ公開していきます

永らくのご無沙汰をしております。 このところ、冊子「カストリ」の方に注力をしておりまして、とんとこちらの更新がされておりませなんだ。誠に申し訳ないことでございます。 申し訳ないついでのご連絡を。 冊子「カストリ」の第一号を、そろそろ絶版にしよ…

うなぎ

二人は差し向かいで、うなぎが焼きあがってくるのを待っている。 男は押し黙り、突き出しのお新香をかじりながら、ちびちびと酒などを口に運んでいる。女は俯き、膝の上で硬く握りしめた自分の両の拳を、じっと見つめている。 ウナギの油が爆ぜたのであろう…

銀の大地における盛衰の物語

0.未踏の大地 はじめに、円い銀色の大地があった。何一つ穢れることの無い、銀に輝く網の大地であった。 1.霜降和牛の統治 穢れなき大地にまず降り立ったのは、その身に白き霜を纏いし和牛肉であった。少数ではあるが威厳のあるその姿にて、銀の大地を大…

ウマ娘 ~掲示板に載れなかったキミ達へ~

うん、 確かにトレーナーさんに無理言って このレースに合わせてきたんだけど。 分かってるよ、分かってる。 あたしにはちょっと背伸びしたレースだって。 あの娘の末脚、凄かったなぁ。 前の方からレースを進めてバテないこの娘も。 あっちの娘は並びかけた…

ちょっとした燃え尽き症候群

誠に申し訳ありません。 文フリ参加してからというもの、若干燃え尽き気味です。 でもねでもね、 真っ白じゃないんですよ。 どこか、ぶすぶす燻った感じなんですよ。 そこがもやもやして苛立たしい。 ネタは挙がってるんです。 書け、って話なんです。 誰か…

【お知らせ】暫しお休みします

いつもこのカストリ話をご贔屓にしていただき、ありがとうございます。 この度、身の程知らずにも、文学フリマに出展する運びとなりました。 元来私は、あちらもこちらも、などと器用に渡っていけるものでもなく。暫しそちらに注力をさせていただきたく、5月…

「ええ、このところね、陽気もずいぶんとあったかくなってね。こんな時はね、ちょっと一杯ひっかけていきたくなりますね、ええ、ええ。一杯ひっかけるったってね、威勢のいい旦那の煮売屋なんかはいけませんよ、もっとこうね、色っぽい年増のお店でね。ワイ…

渇望

その日、若者と俺は首都高速羽田入り口の近くのコンビニにいた。暖かい缶コーヒーを互いに一本づつ。その熱でかじかんだ指に再び血が通う。それを飲み干したらスタートだ。 キーを捻りセルボタンを押すと、スターターが悲鳴のような音を上げる。ワンテンポ遅…

なんでもない一日

「はい、起きて。私これからお仕事」 この部屋のあるじ、ミイホァが俺をベッドから追い出す。仕方ないなぁと呟き、のっそりと部屋から出ていく。階段へ向かう途中で、恰幅のいい外人(俺は外人じゃないのか? 外人の定義ってなんだ?)と、目も合わせずにす…

オーダー

四つ目の十字路を右へ折れてすぐに、その喫茶店はある。朝のひと時をゆっくりと過ごすとき、またじっくりと思索にふけるときなどに使わせてもらっている。 少し渋くなっているドアを押し開けると、からんころんと決して涼やかとは言えない音が俺を店に招き入…

たべる

僕らはすべてが真っ白な部屋に通され、そして少し離れて向かい合わせに座った。 僕の前には、よく熟したイチジクが、彼女の前には大きなサイズの、茹でたホワイトアスパラガス運ばれてきた。 僕はイチジクを二つに裂いて、しゃぶりついた。柔らかな甘みと溢…

惑星なのか?

「この最下層は、どうなっているのですか?」 航宙ハブステーション”ソードフィッシュ”から、この惑星の陸地、と呼んでいいものかどうか、を見下ろして、案内をしてくれている管制官に尋ねた。 眼下の景色は、高層建築が隙間なくびっしりと林立し、それぞれ…

四月になれば彼女は

四月。 春の匂いを纏って、彼女はやって来た。 こんにちは、こんにちは。ご機嫌はいかが? そう尋ねる彼女に戸惑いながらも、その妖しげな魅力に僕は少しづつ魅かれていった。気が付けば僕は彼女に恋をしていた。 五月。 僕らは一緒に住むことになった。 気…

またも雑談

さてもまた、音楽なんぞ聴きながら雑談をしようかと思う。本日は、私のカラオケでの十八番が題材になるので、まあそんなつもりで読んでください。 今かかっているのが、四人囃子の「空と雲」。間奏が長いのだけれども、この曲が好きでよく歌わせてもらってい…

浩文

その男が訪ねてきたのは、一週間前のことだった。 男はこんな田舎の集落では珍しく、濃い鼠色の背広に身を包んでいる。こちらに、浩文、というものがいるはずだが、と尋ねてきた。 いや我が家に浩文という名前のものはいない、お訪ね先を間違っているのでは…

もしもロックが嫌いなら

失敗した。 この間の見合いは、断る気満々だった。だったんだが、お相手を一目見てときめいた。俺には不釣り合いなほどの清楚な女性。でもまあ、まさかの目は無いな。だから、ここぞとばかり色々話を盛った。 ”読書はどのようなものを?” ”ええ、志賀直哉や…

波止場の決闘

「いいか、お互い恨みっこなしだ」「勿論だ。生き残った方がシマをすべて貰う」「ああ、あの世で泣き言いうんじゃねぇぞ」「こっちの台詞だ、マヌケ」 この二人のボスは、古式ゆかしい決闘に、この島の利権を委ねることにした。 島の西側を治める、でっぷり…

要石の祟り

村の肝煎、金五郎が鎮守様の要石を動かした。 鎮守様の要石だけは触れちゃなんねぇ、祟りがあんぞ、って 村のものは言い合ったけんども そったら迷信、俺ぁ信じねえっていって ご神木の二ツ杉の根元まで動かした そら、何にも起きねかったべぇ、と、金五郎は…

雑談なんてものを、ひとつ

寝付けなくなってしまったので、こんなものを書いている。iPodからはヴィヴァルディの「四季」が流れてきている。イ・ムジチ合奏団、それもフェリックス・アーヨの頃だ。「四季」は、冬の第二楽章が良い。暖炉の前に座り、団欒の時を過ごす、そんな情景が浮…

あのメロディ

※このお話は、RKBラジオの 東山彰良 イッツ・オンリー・ロックンロール│RKBラジオ に投稿した作品に加筆をしたものです。 「店長、オ客サン、アンマリ来マセンネ」 アルバイトで留学生のカマル君が言う。「あと三日で閉めちゃうからね、このコンビニ」 私は投…

出なかった同窓会、その後の話

以前書いたが、私は同窓会に出なかった。顔を見たくもない奴らがいるからだ。そのことは後悔していない。 なぜ私が同窓会に出たくないのか - hyakuganとふっとさんのカストリ読物 後悔していないはずだった。 後日街中で、同級生に会った。そのときに言われ…

トンカツ特区

数年前に、安全無菌な豚肉というのが出回り始めた。 その豚肉を使った、中がまだピンク色をしたミディアムトンカツが爆発的に流行った。 そして我が国の流行は、より極端になっていくのが常である。火の通り加減がよりレアなものになっていった。 次に始まる…

スモモの木

叔父の家の、裏の畑に二本のスモモの木があった その木から取れるスモモはとても甘く、爽やかに酸っぱかった そして、叔父と叔母はとても仲良く、畑仕事に精を出していた ある年、片方のスモモの木にいつもよりたくさんのいつもより甘い実がなった その年に…

坂道

黄昏時。 僕は坂をゆっくりと上っていた。 向かいから、黒の留袖を着た老婆が下ってきた。 すれ違いざまに互いに小さく会釈でもしたろうか。 誰か葬式でもあるのだろうか、 ここに来るまでそのような家はなかった。 あの老婆は、どこへ行くのだろうか。 僕は…

歴史になるというのはこういうことかもしれない

今日、東大生と高校生が競うクイズ番組を見ていたら、トキワ荘マンガミュージアムについての問題があったんです。この問題については高校生の方が回答をして、その回答についての解説を、自らしていました。実はちょっとここのところで違和感を感じてしまっ…

スピードボートが停まったのだ

バックパッカーでほぼ満席となった、この国境を越えるスピードボートは、終着の港を前に大河の中央で停止した。そして行き交う小船の引き波に揺られ、およそ2時間30分が経過した。 携帯電話が鳴る。私の到着を待っている、彼女からの連絡だ。 今どこにいる?…