Tさんのこと

 ホーチミン市の10区の路地裏に旨い鳥料理の店があるので行ってみないかと、Tさんから誘いを受けた。外国人向けの安宿が集まるデタム通りの、いつもの定宿で夕方に待ち合わせをしようとのこと。まだちょっと時間があるので、定宿の向かいにあるカフェ、と言っても路上に安っぽいプラスチックの椅子とテーブルを出しているだけだが、で甘ったるいベトナムコーヒーを啜っていた。
 宿の前、若いベトナム娘が所在無げに立っていた。誰かを待っているのか、時おり宿の人間に何かを話しかけて(私には喧嘩をしているようにしか聞こえない)いる。不安げなその表情は、正直、かなり可愛い部類に入る。
 よう、と背後から聞きなれた声がした。Tさんがいつもの軽装で立っていた。そろそろ行こうか、と言って、宿のほうへ目配せをした。え?
 さっきのベトナム娘が、こちらへ向かってくると、Tさんの腕を掴んで、不安から解放された笑顔をたたえていた。何のことだか理解できないうちに、Tさんはタクシーを捕まえて二人でさっさと後部座席に乗り込んだ。何かもやっとしたものを抱えて、私は助手席へ。
 ここから10区まではそこそこの距離がある。あまり観光客の立ち入らない辺り、バイクがたくさん止まっている一角の前でタクシーを降りる。ここですか、とTさんに聞くと、そうだ、と言う。本当はもっと違うことを聞きたいのだが、今はその時ではないかと思った。詳しいことは飯でも食いながらゆっくり聞こう。
 席に通されて、と言ってもここも安っぽいプラスチックの椅子とテーブルだが、香草やパンが運ばれてきた。元フランス領だけあって、ベトナムのパンは抜群にうまい。うまくて安い。そして、メインである、香辛料のきいた鳥の素揚げが運ばれてくる。鶏より一回り小さいが何だろう。鳩かな? この鳥と香草を一緒にいただく。皿にたまった油にパンをつけて食べる。確かにこれはうまい。三人とも夢中になって鳥をむさぼっていた。
 頃合いを見てTさんに、隣に座っている娘のことを聞いてみた。彼女だ、とにやけながら答える。カンボジアで知り合って、連れて帰ってきたのだ、と。彼女は私を少し警戒しているが、なんとか歳だけは聞き出せた。19歳とのこと。Tさんといくつ違うんだろう。変な笑いしか出てこない。こんなデレデレしたTさんも初めて見る。
 いくつ違うんですか、とTさんに振ってみると、22個下だと。娘じゃないですか、と二人で大笑いをした。娘さんは何の事だかわからずに、Tさんにしがみついている。
 で、どうするんですか、日本に連れて帰るんですか、と聞いてみた。こっちで暮らそうかと思っているとの答え。仕事とかどうするんですか、こっちで何か探すよ、もし見つからなかったら、俺一人くらい何とでも食わせてあげる、ってこの子も言ってるし、と。Tさんさすがにそれはさかさまです。ちゃんと彼女を養ってくださいとまたしても大笑い。
 食事を終えてさて帰ろうか、となったところ、Tさんが、すまないが一人で帰ってもらっていいか、と言ってきた。デートですか、とニヤニヤしながら聞いたら、彼女の家に泊まってるんだ、と意外な答え。この国のホテルは、ベトナム人と外国人が一つの部屋に泊まることができないからね、と満面の笑みで答えるTさん。はいはい。

 Tさん、一年もしたら彼女と別れてまたあの定宿にいるな。とはいうもののベトナムの子はしっかりしてるから、思いのほか長続きするかもしれない。どっちだろうな、考えるだけで楽しい。

 私は私の出会いを求めてデタム通りのビアバーを目指した。摩れた子しか来ないけど。

 

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