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レッスン

 リタイアを目前にしたある日、若いディーラーが困り顔でやってきた。なんでもピットボスを呼んでくれ、と言っている客がいると。勝負がしたい、と言っているらしい。確かに私は以前にディーラーをやっていたが、ずいぶん前の話だ。それをなぜ? 若いディーラーはさらに付け加えた。
「最後のレッスンだ、と伝えてくれと言われました」

 

 一台のルーレット台に向かう。私がこのカジノに世話になってから今までここに鎮座している。ここではいろいろ勉強をさせてもらった。本当はあまり大きな声で言うことではないのだが、あの当時、絶頂期の私はどの数字にも入れて見せる自信はあった。それもこれも、毎週木曜日に決まって現れて5回だけ勝負をしていくあの人のおかげだと思っている。


 その人はどの勝負も必ず2か所にベットをした。黒の18と黒の21、赤の15と赤の22、……そう、決まった数字の両隣にベットをしてきた。その数字に落として見せろ、お前が外せば俺の勝ち、ということだ。私も若く、まだかっとなり易かったので、その挑発に乗った。最初は2ドル、それで勝ったり負けたりを繰り返していき、徐々に額は上がっていった。私が記憶する一番最後の勝負では、彼が1000ドルの勝負を挑んできたはずだ。それ以降、彼の姿は見ていない。
 が、今目の前にいるのは、まぎれもなく彼だ。何も変わらない、と言いたいところだが、あれほどの偉丈夫がすっかりやせ細り、時折酸素マスクを口に当て、苦しそうに喘いでいる。私の姿を認めるなり、目元だけだが、にぃ、と笑った気がした。

 

 ほかのお客様には無理を言って、1対1の勝負をさせてもらうことにした。

「……先に、張る」

 そう言って彼は2ドルづつ、赤の1と赤の27にベットした。00に落とせ、ということか。あの頃の感覚を思い出し、慎重に球をリリースする。縁を回り続けた球が落ちた先は、……赤の27。やはり長いこと現場から離れて勘が鈍ったか。それとも、彼のこの姿を見てしまったからか。

「……もう、一勝負、だ。真剣に投げろ」

 また赤の1と赤の27にベット。1000ドルづつ。一つ深呼吸をした。目の前にいるのは死期が迫った老人ではない。毎週木曜に挑戦をしてきたあの人だ。00に落とせ、それで私の勝ちだ。

 リリースをした球は、永遠とも思える時間、ルーレットの上を走り続けた。
 
 
 
 勝負が終わり、私は一つ大きなため息をついた。
 彼はただ一言、楽しかったなぁ、と誰に言うでもなく呟いて、人ごみに消えていった。
 
 
 


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〈 宿敵 〉を倒した?