友を訪ねる

 八月も旧盆を過ぎる頃。暑さもその表情を少しづつ変えていく。ぢりぢりと灼きつける日差しに変わりはないが、重く纏わりつく湿気は薄れ、次第に空の青も深く高くなり、絹雲のひとひらふたひらが、または寄り添い、または千切れてゆっくりと空を渡っていく。それは流れに浮かぶ泡沫に同じ、かつ消え、かつ結びゆく。
 夕べにもなれば、高くなりつつある空は羊や鰯を従えていく。油蝉のイラつく鳴き声は音を潜めて、涼風を運ぶようなヒグラシの声が渡っていく。陽はまだかろうじて西の空を赤く染める頃合い、高速バスはこの町に滑り込んだ。

 古い友の家を訪ねようと、この町に来た。高速バスは、この町の中心となる駅で最後の客を降ろす。高い山の麓に開けたこの町は、山肌に張り付くように広がってい、駅はその起点ともなる、最も低い位置にあった。必然、街の中心街へは坂を上っていくことになる。だからこの時期は、この時間のバスを選んだのだ。日中に到着するなど以ての外だ。しかし、標高が高いこともあって、この町を渡る風は都市のそれよりも穏やかで心地よい。

 友はこの町に腰を落ち着け、趣味の絵を描いて暮らしていた。私たちの仲間内では最も絵の才能に恵まれていたし、都会で活動をしても十分やっていけるはずだったのだが、この町が性に合っているんだ、絵はあくまでも趣味でいいんだよ、と言ってここから出ることはなかった。

 駅前の商店街で手土産を買い、坂道を上る。旧街道を横切りしばらく進んだあたりから、左に折れると古い街並みが続き、さらにその先、木立に囲まれた古い寺に突き当たる。その裏手が友の家だ。気合とも溜息ともつかない息を吐き、少しだけ急になる坂を上っていく。

 物静かだったが、人と話すのが好きだった。私の記憶の中の友は、そんな男だった。おおよそは私たちの馬鹿話の聞き手に回ってくれ、時折、私たちの心の中を見透かすような一言を、誰を傷つけるでもなくそっと言ってくれ、私たちははっとなって互いの顔を見渡したりもした。

 日を置かず、二通の手紙が彼の住む町から届いた。一通は彼からの暑中見舞い。こっちの夏は都会より涼しいだろうから、たまには遊びに来ないか、と書かれていた。そんなこと今まで書いてきたこともないのに、どういう風の吹き回しなんだろう。まあ考えておくかな、と思い、そんな思いも忘れかけていたころ、もう一通の便りが届いた。

 坂の上から、涼やかな風が吹いてきた。お寺の境内から、子どもたちが弾けるように駆け出して、少し先の路地へと入っていった。彼がよく絵のモチーフにしていた子どもたちそのままのようでもあった。周りの山が高いこともあり、日は大分陰ってきたそんな頃、私は彼の家に着いた。。

 

 彼は仏壇の中で私を待っていた。私たちの記憶にある、あの優しい笑顔のまま迎えてくれた。

 

 すっかり日も暮れたころ、彼が大好きだった景色がある、と、彼の奥方が私を庭へと誘ってくれた。彼がこの町を愛して止まなかった理由の一つだと。ぜひあなたにも見てほしいとのことだった。いつもあなたのことを楽しそうに話してたんですよ、そんな人にはぜひ見てほしいと。

 庭に出てまず目に入るのは、少し小高いこの家から見える街の全景。煌びやかではないが輝石をくぼみに集めたかのような光の塊が目に飛び込んできた、美しい、素直にそう思えた。彼がこの町を愛した理由はこれか。

 

 振り返ってみてください、と奥方の声がして、その通りに振り返り、私は息を呑んだ。

 

 この町は高い山の麓に開けた、山肌に張り付くように広がっている。すっかり日が落ち、山はすでに闇に溶け込んでいる。その山肌に、人々の暮らしの証が燈り、輝いている。それはあたかも、街が夜空へ駆け上がろうとしているように見えた。
 私は飽くことなく、その風景を眺めていた。一筋流れる涙を拭う気も起きぬほどに。

 


nina_three_word.

Including
〈 足元 〉
〈 泡影 〉
〈 表情 〉

--印象--