英雄の帰還(改訂)
軌道ハブステーション「ジンベエザメ」航宙管制:
「エウロパ行きJ9003、ゲート3へ。タイタン行きJ621は現在位置で待機を」
「火星行きM805、ゲート1出発位置で待機。M844ゲートアウトします」
「MN001、航路Dを使用してください。MN802、航路Aから侵入を。」
「……取り敢えずこれで一段落ですかね」
「そうだね。あとひとつ、厄介なのが残ってるけどね」
「ああ、AM 01ですか。確かに厄介だ。火星行きでしたっけ?」
「申請ではゲート1だから、そうだね」
「専用機は、こう言ってはなんですけどその、」
「……注文が多くて、な。特に今期のAM便はね」
「優先で出せ、とか、さっさと接舷許可を出せ、とか。この間なんか先の便がゲート待ちしてるところに割り込ませてきて、“なぜ私を最後尾で待たせるんだ!”って、こうですよ」
「まあ、操縦士が悪いわけじゃないしな。積んでる“荷物”が問題なだけで」
「……MN005、そのまま続いて航路Dを使用してください。ん? 旧式のシグナルを受信。え、マジかよ……ゲート0からです!」
「誰か、局長を呼んできて! 最優先!」
AM01 キャビン;
「ゲート使用許可はいつになったら出るのかね」
キャビンの主は秘書にそう尋ねる。
「本日は便が多いようなので。管制からの指示が出るまでしばらくお待ちを」
秘書は慇懃な態度で、あくまでも事務的に答える。
「管制は我々のことをなんだと思っているんだ。公用で火星に向かう私をなぜ優先にしないのかね。第一に、だ。0番ゲートなどというあんな古ぼけたもの、便数の多い惑星行きに割り当てればいいではないか」
相変わらずこの人は口数が多いな、と秘書は思っている。それに、これだけの地位に就いたというのにゲート0のことを分かっていないのでは? もし分かって言っているのであればそれはそれでまた悪質だが、と、秘書は苦々しく思っている、心の中で。
「はい、いかがいたしましたか」
キャビン内のモニターに精悍な表情の操縦士が映し出される。
「まだかかるのかね。いつまで待てばよいのかね。我々は急いでいるんだ。いったい管制は何を……」
「分かりました。管制に問い合わせてみます」
この操縦士は優秀だ、この男の扱い方が分かっている。秘書は胸を撫で下ろした、心の中で。
軌道ハブステーション「ジンベエザメ」航宙管制:
「……ゲート0から通信だって?」
息を弾ませて、局長が駆け込んでくる。
「はい、間違いありません。この通信プロトコルは、ええと、ケンタウロス星系ですね」
「AM01から管制。ゲート1の使用許可を。客人が騒ぎ始めた。あと何機くらい待機してるんだ?」
「……航宙管制よりAM01へ。すまないが全機現在位置で待機を。事情は局長から話します。……私たちは歴史の証人になるぞ!」
軌道ハブステーション「ジンベエザメ」からのオールレンジ放送:
「軌道ハブステーションおよび航宙管制宙域の皆さんへ。航宙管制局局長よりお知らせです。
現在より、航宙法第二〇七条及び星系移民憲章第一項に基づき、管制宙域での一切の航行の停止を命じます。ゲート0の往還を最優先とし、他ゲートはすべて閉鎖します。
軌道ハブステーション職員各位。緊急時対応マニュアル0に基づいて行動を。
グラスをお持ちの皆様は掲げる準備を。お持ちでない方も、何でもいいから掲げる準備を!」
木星域航宙管制局からの入電:
"(マジか!)^100"
火星域航宙管制局からの入電:
“クソ、ゲート0が稼働するこんな歴史的な日に、なんだって俺たちは火星なんかにいるんだ!”
およそ1世紀半ほど前。
星間ゲートを使用した星間航法理論が確立、外宇宙への航行が現実のものとなった。しかしながらこの理論では、往還の為には双方に星間ゲートが存在することが条件であった。
“それでは我々が先鞭を付けよう、我々が外宇宙へ向かい、そこでゲートを構築しよう。必要な資材だけ送ってくれ。我々はただ、外宇宙が見たいのだ!”
そして外宇宙への探査プロジェクトが開始された。幾多の冒険家、野心家、山師がこの企画に集った。
ただ一つのゲートを築き、地球型惑星が存在するであろう星系へと彼らは旅立っていった。
狂熱はいつしか醒める。
10年、15年、20年。
ゲートアウトしてくるものたちは現れなかった。定期的に送られていた資材・物資は、次第に滞りがちになった。そして輿論はプロジェクトに対し懐疑的となっていった。
“20年もの間、我々は資材を送り続けていった。それに見合う成果は本当に現れるのか?”
開始から55年を以って、プロジェクトを中止とすることが決まった。うち5年は、プロジェクト関係者の努力による延長である。その5年のうちに、彼らに出来得る幾つかの手を打った。
航宙法に外宇宙探査団の優先権を明記するよう法改正を急いだ。
併せて、星間移民憲章の批准を、国連を通し各国に働きかけた。そう、彼らがいつでも、いつまでも英雄として凱旋できるように。
そして、ゲート0の永久保持。英雄たちの凱旋のためゲート0はこれまで100年その場にあり続けた。
そうこうするうち、月、火星、木星の衛星についての開発が軌道に乗り、本格的な移住が始まった。外宇宙を目指さなくとも、移民はできるのだ。
AM01キャビン:
目先の利権、それこそが我々人類に最も大切なものではないか! キャビンに陣取る主人はそう思っている。ルーレットでいつ出るか分からない7に賭け続ける者などいない。赤か黒、はたまた奇数か偶数か、だろう。政治家というものは、有権者と支持団体の目先の利益のために動くものだ。
「航宙管制からのオールレンジ放送です」
パイロットの冷静な、どこか抑えたような声が流れる。
AM01 コックピット:
「ジンベエザメ」からの放送をキャビンに繋ぎ、パイロットはコックピットからの回線を静かに切った。
そして飛び上がるようにして、雄叫びのような歓声をあげた。
「マジかよ! ゲート0が! あそこからゲートアウトしてくるって?! それも今から?! Yeah, Fxxkin‘ great!」
軌道ハブステーション「ジンベエザメ」航宙管制:
「ゲート0、ゲートアウトまで推定27分30秒」
「 ポート01A、受け入れ準備完了してます」
「……AM01から至急の入電です。繋ぎますか?」
AM01 キャビン:
「これはどういうことかね!」
苛ついた声で、キャビンの主人は一人がなりたてる。
「航宙法第二〇七条の適用です。止むを得ません」
秘書は努めて冷静に伝える。
「航宙法がどうしたというのだ。我々は少しでも早く火星の会議へと向かわねばならんのだ! 管制は一国の代表である我々のことをなんだと思っているのかね!」
会議の参加者だって、二〇七条であれば遅れても納得するだろうに、場合によっては会議自体中止でパーティーが始まってもおかしくない事案だ。口に出そうとしたが、言ってしまえば火に油だな、まったく、と秘書は思った、心の中で。
「はい、何でしょう」
特に変わった風も見せずに、パイロットがキャビンのモニターに映し出される。
「こちらの回線を航宙管制に繋げ! 私が直接話をする!」
軌道ハブステーション「ジンベエザメ」航宙管制:
「航宙管制。こちらAM01。お客さんが騒ぎ始めた。ありえねぇ。直接そちらに繋げって言っているんだが、どうします」
「AM01、局長です。こちらに繋いでいただいて結構です。返事は決まってますがね」
「あ、局長、ご配慮ありがとうございます。では繋ぎます」
軌道ハブステーション「ジンベエザメ」航宙管制:
AM01の主がコンソール右上隅に映し出される。冷静を装っているつもりらしいのだが、誰が見てもその努力は無駄であるな、とわかるままに話し始めた。
「航宙管制局長、お初にお目にかかる。不躾だが、状況を説明してもらえるだろうか」
「直接のご連絡、恐れ入ります。ご覧になっていただいているかと思いますが、局員がゲート0の対応で手が離せない状態でして。申し訳ないですが私が対応をさせていただきます」
「別に君たちの状況を教えろ、と言っているのではない。いつになったらゲートを使えるようになるのかを聞いているのだ」
「先ほどの放送の通りです。局長権限による航行の停止を解除するまで、です」
「我々はこれから重要な会合がある。ここで留まっているわけにはいかんのだ。ゲート1の優先使用許可を今すぐ出したまえ」
「大国の首領ともあろうお方が航宙法第二〇七条をご存じない! これはなんたる悲劇だ! いや、喜劇、でしょうかな」
「私をバカにしておるのかね」
「いえ、わがままなお坊ちゃんに言って聞かせているだけですよ?」
「一体航宙法がなんだというのだね! 何かをもたらすかどうかも分からない調査団の帰還より、重要なのは今、この世の中を確実に動かすことではないのかね! 我々はまさに、その今を動かしているのだよ!」
AM01キャビン:
訂正を願いたい、今、この船内でそのように思っているのはあなた一人だ。歴史が無ければ今は無い。彼等は外宇宙へ赴き、そこにゲートを構築し、還ってきたのだ。つまり我々は、外宇宙へ往還し得る手段を得たのではないか! 秘書は口の端に僅かな嫌悪感を表して、そのように思った、心の中で。
軌道ハブステーション「ジンベエザメ」航宙管制:
「よろしい。それではたった今、連合議会に対し緊急の動議を提出する。航宙法第二〇七条の恒久的な凍結を提案、即時発効を求める。宜しいかな?」
全てのオペレーターが、ほんの一瞬手を止めた。思いは一つ、“本気か? この人”。
AM01キャビン:
ああ、これで私も悪役側か。
休暇を取りたいな、今すぐにでも! そうだガニメデ辺りがいい。動議の手続きを手早く済ませながら、秘書は切実に思った、心の中で。
なんなら、永遠の休暇でも構わない。
連合議会 議題受付【緊急】:
「動議を受け付けました。議題、第四八一九。至急案件です。内容はお手元に転送した資料をご確認下さい。連合議会参加国及び指定行政区代表は十分以内に可否の表明を」
どこか冷ややかな声が流れる。
航宙管制では休む事なくゲート0からの帰還受け入れ準備を粛々と進めている。
AM01キャビン:
秘書は人目も憚らず頭を抱え俯いている。主人は自らの居場所で踏ん反り返り、採決の結果を待っている。見ていろ、過去の亡霊は今日で払拭してやる、と息巻いて。
連合議会 議題受付【緊急】:
「採決終了。賛成3、反対712、棄権5。本議題は否決されました」
連合議会 議題受付【緊急】:
「動議を受け付けました。議題、第四九五三。議題四八一九に対する非難勧告。加盟国および特別行政区代表は十分以内に可否の表明を」
軌道ハブステーション「ジンベエザメ」航宙管制:
「ゲート0、ゲートアウトまであと1分30秒。識別信号の照合完了、ケンタウロス星系探査船団『アントニウス』のものです」
「『アントニウス』、こちら航宙管制です。受信状況はいかがでしょうか」
「ゲートアウト後は管制の指示に従ってください。接舷ポートまで誘導します」
連合議会 議題受付【緊急】:
「議題、第四九五三。採決終了。賛成710、反対1、棄権9。本議題は可決されました」
軌道ハブステーション「ジンベエザメ」航宙管制:
「ゲート0、「アントニウス」ゲートアウトします!」
ゲート0を寒冷色のプラズマ光が覆う。その覆いを押し分けるように、およそ100年前の、古ぼけた艦船の先端が顔を出し、そして次第に、『アントニウス』がその姿を現していった。
AM01キャビン:
非難決議からこのかた、この船の主人はソファに身を沈めたまま、じっと天井を見上げている。
秘書は蓋を閉じた自らのラップトップ端末に肘をつき、うなだれて頭を抱えている。
非難決議か。同盟国すら反対に回ってくれなかった。棄権するのが精一杯か。
コクピットから時折、奇声と思しきものが漏れ聞こえてくる。
事情は何であれ、AM01には現在、航行をする気がなくなっている。
軌道ハブステーション「ジンベエザメ」航宙管制:
「航宙管制局長より『アントニウス』へ。
長い、長い旅程、ご苦労様でした。
我々はあなた方英雄の帰還を歓迎します!」
了
附則:
航宙法第二〇七条:
“外宇宙への往来をする船舶は、全てに於いてその航行を優先する。他の船舶はその往来を妨げてはならない。”
星間移民憲章第一項:
“条約に加盟する国家およびその民族はすべて我等の先鞭となる開拓者に対し、最大限の敬意を払うものとする。”