カオ・パッ・ガパオ・ムー・カイ・ダーオ
会社の近くに新しくタイ料理の店ができたので、-物珍しさもあって、昼時に何度か行ってみた。ガパオライスもパッタイもかなり美味しく、辛いものはしっかりと辛い。値段も安く店の感じも良い。
良いのだが。
店員の中で一人だけ、笑顔もなく、所在無げにしている女の子がいた。いつ見かけても下を向いていて、隣に立っている店員に肘で小突かれていた。
ちょっと気になる。そういうものだろう男なら。
ある日の昼、同じ部署の人とそのタイ料理店で、たまたま隣席同士になった。あまり会話をしたことはないのだが、基本的に正体不明。会話をしないわけではないのだが、つかみどころがない。
気になっているあの子がオーダーを取りに来た。
「えーっと、ガパオライスをひとつ」
彼女は少しつっかえながら、伝票にオーダーを書き込んで控えを私のテーブルに置いた。そしてそのまま隣席にオーダーを取りに行く。
彼はメニューを指差してオーダーをした。彼女は同じように伝票にオーダーを書いていく。
「あ、」彼は思い出したように彼女に二言三言、話しかけた。それを聴いた瞬間、彼女は満面の笑みを浮かべた。そして同じように伝票の控えを置いて厨房へ向かった。
ああ、彼女はあんな笑顔をするんだ、と思ったのと同時に、なぜあんなに笑顔になったんだろう、それがどうしても気になった。なんの話をしたんだ、彼は。
「あの」私は思い切って彼に尋ねることにした。
「さっき、最後に店員さんになんて言ったんですか?」
「ああ、あれ? ”マイ・サイ・パックチー“、パクチー抜いてってお願いしたんだ」
え? たったそれだけ? それだけでなぜあんなに笑顔になるんだろう。
「うん、まだ日本に慣れてないんだろうね。オーダー取りに行ってもみんな日本語か日本風の言い方だから。自分の知っている食事のメニューと結びつかなくて混乱していたんじゃないかな。
ほら、タイには”グリーンカレー“って呼ぶ料理はないし、“ガパオライス”って言い方もしないからね
だから、“パクチー抜いて” ってだけでもタイ語を聞いてちょっと安心したんじゃないかな。まあ下手くそな発音だけどね」
この人、ひょっとして結構な人たらしなんじゃないだろうか。などと思っているうちに、ガパオライス、いや本当はなんて言うんだろうか、が運ばれてきた。
隣もほぼ同時に、チキンライスが運ばれてきていた。彼はフォークとスプーンを取り、紙ナプキンで丁寧に拭う。
その様子を見て、彼女はクスクスと笑う。
その行為のどこが面白いのか分からない。それが悔しい。
彼女の笑顔を見られたのはいいんだが、一人取り残された気分だ。
辛い。
了