「真景 累ヶ淵」を読む 伍・豊志賀
主な登場人物
- 豊志賀 : 冨本節の師匠。宗悦の長女、お園の姉。
- 新吉 : 煙草屋の惣吉の甥。その実深見新左衛門の次男。
- 久 : 羽生屋の娘。豊志賀の弟子。
- 惣吉 : 煙草屋。新吉を育てる。
- 三蔵 : 久の叔父。下総国羽生在住。名前だけ登場。
あらすじ
深見新五郎の騒動から十九年。
宗悦の娘豊志賀は四十九の大年増、冨本節の師匠をし、大層な人気であった。煙草屋の新吉は稽古が好きで、豊志賀の所へと色々世話を焼きに行く。豊志賀も心覚え悪くなく、いつしか新吉は豊志賀の家に居着き、男女の関係となる。
新吉は旦那面しているので他の男衆は面白くなく、寄り付かなくなる。身持ちが固いからと豊志賀に娘を預けていた家もこのような様ではとても預けられぬと、弟子もみるみると減っていく。そんな中ただ一人、おひさという娘だけは変わらずに稽古に通ってくる。継母の当たりがきつく、それから逃れるように通ってくるのだが、豊志賀は、これは新吉目当てに違いないと嫉妬に狂い、お久に辛く当たる。
ある日、豊志賀の目の下当たりにぽつりとできものが。それがみるみるうちに顔半分に広がり膿み爛れてしまう。痛みに食も通らず痩せ細り、終には床も上がらなくなる。それでも新吉は看病をし、お久も色々と手伝いにやって来る。そんなお久に豊志賀は、お前は新吉目当てに見舞いに来るのだろうなどと憎まれ口。
そういった豊志賀に少しばかり嫌気も差して、羽生村の親戚を頼ろうかと思案をしながら夜道をフラフラしているとばったりと久に会う。豊志賀の辛く当たるを互いに労おうと新吉はお久を寿司屋に誘う。
寿司屋の座敷で二人きり、聞けばお久も羽生村に所縁があり、三蔵という叔父がいるとのこと。それでは二人で羽生村へ行ってしまおう、と持ちかけるが、お久は師匠に義理立てできぬ師匠は野垂れ死んでしまうと頚を縦に振らない。たとえ豊志賀が野垂れ死にをしようとお前が一緒に行ってくれるというのなら、と新吉。
本当に豊志賀が野垂れ死んでも一緒に行ってくれるかい?
勿論だとも。
えゝ、お前さんという方は不実な方ですねぇ
見ればお久の目の下に出来物がぽつり。それが次第に広がり膿み爛れ豊志賀が姿となり恨めしそうに見上げている。慌てて一人逃げ出す新吉。
叔父の惣吉のところへ駆け込むと、丁度豊志賀が来ているとのこと。奥の部屋で畏まる豊志賀は新吉に、今まで世話を焼いてくれたことへの感謝と嫉妬のあまり皆へ辛く当たったことへの詫びを入れ、お久と一緒になるなら私も応援をしようと語る。
病気の身であるからと駕籠を呼んで家まで送ろうと豊志賀を乗せたところへ長屋のものが駆け込んできて、たった今豊志賀が息を引き取ったと。
そんなはずはない、たった今までここに居て、駕籠に乗せて返すところだと言うが、駕篭の中には誰も居ない。
長屋へ戻ると確かに豊志賀は亡くなっている。長屋衆が湯灌をするので豊志賀の亡骸を移したあと、床を上げると新吉に宛てた書き置きが一通出てくる。
年下の新吉と今まで夫婦のように尽くしたが、私が大病で床から出られぬのを良いことに他の女と会っているとは。私は間もなく死ぬだろうが、
その時には新吉にまとわりつき、
嫁を持つなら七人まで呪い殺すからそう思え。
雑記
宗悦の上の娘、志賀のお話です。かなり怪談めいてますね。所謂"若い燕"の新吉と一緒に夫婦気取りで暮らし始める。このとき豊志賀は四十九、新吉は二十二。親子と言ったっておかしくないほどの歳の差です。父宗悦が何者かに斬り殺されてから、身持ちも固く冨本節のお師匠さんをやってたところにやっと迎えた春です。
誰かに新吉を取られやしないかと疑心暗鬼になって、お弟子さんたちに当たる。特にお久という娘には殊更。これはみんなどこかに持っているのではないかなと思います、男であれ女であれ、程度の差こそあれ。恋敵、一方的に思っているにしてもですよ、相手のことをどこか色眼鏡で見てしまう。
それでもお久は通ってくるんですね。お久の継母のイビりがひどくて、まだ豊志賀にお小言を言われているほうがマシだったんですね。でも豊志賀のほうとしては、これだけ辛く当たるのに通ってくるのは、相当に新吉を狙っているに違いない、ああ口惜しや、となるわけですな。
そんな心根が表に出るように、豊志賀の顔に腫れものができ病がちになって床から上がれなくなってしまうのです。
それでも新吉はちゃんと面倒を見てやってるんですね。でも豊志賀がお久に辛く当たるのは何にも変わらない。だんだん心が離れていく。いっそ逃げ出してしまおうか。魔が差す、というやつです。そんなことを思いながら街をふらりと歩いていたら偶然お久に会い、身の上を聞いてしまったと。
ここで寿司屋の座敷に誘っている時点で、新吉、もう豊志賀を捨てて逃げる覚悟ができてますよね。そしてお久に情が移ったのを、好いたと勘違いをしたのかもしれない。二人に所縁のある羽生村、今の茨城県ですね、に行こう、と。
”それでは、お師匠さんはどうするの、野垂れ死んでしまうわ”
”それならそれで構わないさ”
……一番の聴かせどころですね。
ここまでの話でね、お久って絶対可愛らしい声をしてると思うんです。それが突然、豊志賀の、恨みのこもったような声に変わる。姿も豊志賀のように、顔が醜く腫れ爛れ、膝に手を置いて見上げるように新吉を覗き込む。
そりゃあ転がるように逃げ出しますよ、見た目はお久じゃないんだもの、豊志賀なんだもの。
で。おじさんの惣吉のところへ行くと、豊志賀が来て奥、ったって二間くらいなもんだと思うんですが、で待っていると。新吉の行く先々に豊志賀が現れるわけです。話を聞いてみるとしおらしく、あたしが悪かった、お前が別の若いのと一緒になるのならもう止めやしない、むしろ助けになりたいくらいだ、とまで言っている。
体に障るからそろそろ帰んなと惣吉、駕籠を呼んで、豊志賀が乗り込むところまでは、新吉はおろか、惣吉、駕籠掻きまでもがしっかと見ている。とそこへ豊志賀のいる長屋から人がやってきて、豊志賀が死んだ、と。
そんなわけはねえ、と駕籠を覗くと、誰もいない。確かに乗った、掻き手も確かに重さを感じた。
仕方がないので長屋に戻ると、確かに豊志賀はそこで亡くなっている。
で、新吉は、豊志賀の書置きを見つけてしまいます。
あんなん見つけたら、小便ちびりますよ。
この豊志賀と、次のお話への流れ、ここは正しく、日本の怪談ですよね。根っこにあるのはただ一つ、「恨み」です。長い長い「真景 累ヶ淵」の中では、この豊志賀の祟りっぷりがダントツです。しかもこの二人、知ってか知らずか図らずも、深見家と皆川家の因縁を引き摺るわけです。少しの間はなんであれ恋仲だったんですけどね……。
ちょっと長いお話になりまして、お付き合いいただきありがとうございました。
次回は、禄話目になります。題はその時になってから。