雑談なんてものを、ひとつ

 

 寝付けなくなってしまったので、こんなものを書いている。iPodからはヴィヴァルディの「四季」が流れてきている。イ・ムジチ合奏団、それもフェリックス・アーヨの頃だ。「四季」は、冬の第二楽章が良い。暖炉の前に座り、団欒の時を過ごす、そんな情景が浮かんでくる。

 

 作曲家では、ムソルグスキーストラヴィンスキーが良い。ワーグナーは仰々しすぎる。ムソルグスキーであれば「禿山の一夜」、ストラヴィンスキーは「春の祭典」がお気に入りである。

 

 あと、ドボルザークの「新世界より」。これは第三楽章が良い。土着の民族的な音の使い方、で合ってるだろうか、が普遍的ともいえる郷愁を誘い、聴いて心地よい。

 

 一気に気分を変える。サイモン&ガーファンクル「セントラルパークコンサート」。十万人規模で聴衆が集まったコンサートのライブ盤だ。私の原点の一枚でもある。この頃には、ポール・サイモンアート・ガーファンクルの仲は最悪だった、というのは知る人ぞ知る話だが、そんな裏話はどうでもよいのだ。この二人の美しいハーモニーこそが我々、殊に私にとっての全て、それでよい。中でも『アメリカの歌』の美しさよ! こんな歌が歌える人間になりたいと思ったものだ。……それは叶わなかったが。

 

 なんて、こんな大人しいのばかりではないのだよ。本性はメタルやプログレを好んだりするわけだ。ここで注意してほしいのは、プログレ・メタルではないということ。いやドリームシアターとかは好きだが。どちらかというと、ジェネシスやマリリオンがよい。いや、イエスエマーソン・レイク&パーマーも捨てがたい。「こわれもの」や「タルカス」最高! ということだ。

 

 そうこうしているうちに曲は『僕とフリオと校庭で』になった。諸星大二郎の漫画にもあった。あれは非常に良い作品だった。氏の作品では、「孔子暗黒伝」もよい。これで初めてハノイの塔というパズルを知った。

 

『スカボロー・フェア』。この曲が洋楽初体験であった。確か、ソニートリニトロンのCMで流れているのを聴いて、そのハーモニーの美しさに度肝を抜かれたのだった。その時曲のタイトルは、どうやって知ったのだろう。ひょんなこと、本当にひょんなことから知ったはず。このままハーモニーだけに魅せられて、合唱部とかそっちの道に入っていたらどうなっていただろうか。少なくとも音楽の趣味は変わっていただろうな。

 

 ポール・サイモンの曲に、『僕のコダクローム』というのがある。母親にカメラを取り上げられてしまう男の子(たぶん)の歌だ。この中で、この子が持っているカメラがナイコン、つまりはニコンのカメラで、それにコダクロームのフィルムを詰めて写真を撮るのが好きだ、と歌っている。この歌の影響で私は数年後に、中古のニコン一眼レフを買ってコダクロームを時々詰めて写真を撮りに出かけた。時々、なのはコダクロームが結構値の張るフィルムだったから。

 

 話はガラッと変わるのだが。朝の連続テレビ小説「エール」が大団円を迎えた。このドラマで、主人公古山裕一の少年時代を演じた石田星空くんの美少年ぶりは特筆しておきたい。私は決してショタではないのだが、あの子は可愛い。これからもっといろいろな作品に出るだろうからチェックをしておいて損はないと思う。

 

 それでは今宵はこの辺で。

 長々と雑談に付き合っていただき、感謝。

 

 

あのメロディ

※このお話は、RKBラジオ

東山彰良 イッツ・オンリー・ロックンロール│RKBラジオ

に投稿した作品に加筆をしたものです。

 


 

「店長、オ客サン、アンマリ来マセンネ」
 アルバイトで留学生のカマル君が言う。
「あと三日で閉めちゃうからね、このコンビニ」
 私は投げやりに答える。
 二人はレジに、ぼーっと立っている。
 そこそこ品物があるのは、パンやおにぎり、乳製品など。いわゆる日配、ってやつだ。あとはタバコが少し。他の棚はすべて空っぽだ。

 

「店長、ナンデ僕残シタ? モウ二人モイラナイデショ」
 私はやはり、どこか投げやりに答える。
「本部から、最後まで二人でやれってさ」
 カマル君はそれでも、いつものようにニコニコとしている。

 

「ねえカマル君、聞いてくれる? あの、お客さんが来てドアが開くときにメロディが流れるでしょ。僕、あのメロディが大嫌いなんだ。なんか生理的に受け付けない」
「店長ハ、オ客サン来ルノ嬉シクナイデスカ?」
「いや、ただ単にあのメロディが嫌いなだけ」
 嘘だ。あの曲を聴くと、ろくでもない客の記憶しか甦らないから嫌なんだ。要領を得ないクレーマー、はなから人を見下した態度の若造、中年、年寄。そんな客ばかり思い浮かぶ。それが嫌で嫌で仕方がないのだ。

 

 と、そのメロディが鳴る。ああ憂鬱だ。

「ンだょ、何もねえじゃん。シケてんなぁ」
 イキった若僧が入ってくる。一番面倒くさいパターンだ。
「おう、セッタくれる?」
 若僧が言う。
 言いたいことを言ってやろうと、少し悪戯心が芽生える。どうせあと三日だ。
「セッタですか?あいにく当店では草履、雪駄など履物の取り扱いがありません。ご了承ください」
「ぁあ?! 何寝ぼけたこと言ってんだよ。セッタだよ、セ・ッ・タ。知らねぇのかよ。タバコだよ」
「セッタ……、セッタ……。ああ、”ブンタ”ですか! セブンスターのこと、セッタなんて呼ぶ人も居るんですねぇ」
 若僧は顔を真っ赤にしてがなり立てる。
「てめぇ、舐めてんじゃねぇぞ。客に向かってその態度は何だよ!”お客様は神様”てぇの、知らねぇのかよ!」
 残念ながらうちは真言宗で、と言おうとした矢先、カマル君が私の前に割って入る。ちらりと見えた表情からは、いつもの笑顔は消えている。
「”神様”ヲミダリニ、クチニ出シテハイケナイ。ソレニ神様ハ唯一人、アナタ神様ジャナイ、帰リナサイ」
ただならぬ剣幕に、若僧は悪態を残して出ていく。

 

「言ッテヤリマシタ。イツモ思ッテタ」
 カマル君はぺろりと舌を出し、悪戯っぽく笑う。
 閉店三日前。今日のこの時の、あのメロディはそんなに悪くない。

出なかった同窓会、その後の話

 以前書いたが、私は同窓会に出なかった。顔を見たくもない奴らがいるからだ。そのことは後悔していない。

 なぜ私が同窓会に出たくないのか - hyakuganとふっとさんのカストリ読物

 

 後悔していないはずだった。

 

 後日街中で、同級生に会った。そのときに言われた。
「Tがさ、お前に会いたがってたぞ」
 Tは、私の唯一といってもいい、親友と呼べる男だ。同じ趣味を、同じ夢を共有していた唯一の友だ。
 Tは夢へ向かって一直線に進んだ。
 私はその夢を諦めた。諦めてまたその道へやむを得ず舞い戻った。夢を追ってではない、飯を食うためだ。
 その友が会いたがっていた。私は友に不義理を働いたのだろうか。私のつまらないプライドなんて、何の意味があっただろうか。ひとり、煩悶をした。
 
 私の選択は間違っていなかった。
 そう信じなければ、遣る瀬がない。
 
 T、すまない。機会があればまた会えるさ。
 俺のつまらない意地を笑ってくれないか。

 

 

トンカツ特区

 数年前に、安全無菌な豚肉というのが出回り始めた。
 その豚肉を使った、中がまだピンク色をしたミディアムトンカツが爆発的に流行った。
 そして我が国の流行は、より極端になっていくのが常である。火の通り加減がよりレアなものになっていった。
 次に始まるのは、価格競争だ。いかに安く提供をできるかコストカットが始まった。
 どこかがより安い豚肉を求めて、「普通の豚肉」を使い始めた。本末転倒、最も手を付けてはいけないところだ。

 あとはお分かりだろう、普通の豚肉をレアで出したら何が待っているのか、は。

 

 トンカツに懲りて膾を吹く。全国規模で、トンカツを提供することが全面的に禁止された。
 ただお役所にもトンカツ好きがいたのだろう、各自治体の一角でのみ、トンカツを供することが許された。
「トンカツ特区」の誕生である。

 

 ここで余計なことを言ったクレーマー気質の誰かがいたらしい。
「トンカツ特区」であれば、トンカツだけを出すべきだ、そんな法令が数年前に施行された。……全く余計なことを。

 

 そのため、皿の上にただ一枚だけ乗ったロースカツを見つめて呆然としている私が、今ここにいるわけだ。

 左隣の御常連であろう彼は、慣れた手つきで持参した千切りキャベツを皿の上に置いている。右隣のサラリーマンは保温ランチジャーからご飯と味噌汁を嬉しそうに並べる。

「悪いね、とりあえずソースと塩、練り辛子は付くからさ」
 言葉の割にはどこか浮かれたような、そんな店主の声が私の右耳から左耳へと抜けていった。

 

 諦めてロースカツに箸を付けようか、と思った矢先、すっと箸が伸びてきて、私の皿の上に千切りのキャベツが置かれた。
「いつも買ってるキャベツ屋、量が多いんすよ。余るより食べてもらった方がいいんで」
 左隣の常連客が照れくさそうに目も合わせず、早口で言った。今度は右隣から白飯が一口分、申し訳なさそうに置かれた。なにも言わず、そっと会釈をするサラリーマン。
 私は感謝の思いに胸が熱くなり、手を合わせた。
「いただきます」

「あ、ひとくちめは是非塩で食べてみてよ」
 店主は自慢げに言った。だが言われなくとも分かっているさ。このロースカツはきっと、涙で少し塩味だ。

 

 

 

スモモの木

 叔父の家の、裏の畑に
二本のスモモの木があった

 

その木から取れるスモモは
とても甘く、爽やかに酸っぱかった

 

そして、叔父と叔母は
とても仲良く、畑仕事に精を出していた

 

ある年、片方のスモモの木に
いつもよりたくさんの
いつもより甘い実がなった

 

その年に、叔父は体調を崩し
旅立っていった

叔母はとてもとても悲しんだ

 

翌年、いつものようにスモモの木は実を付けた

 

片方のスモモの木は
ただ酸っぱいだけの実をつけた

 

それからもずっと
ただ酸っぱいだけの実をつけた

 

 

坂道

 黄昏時。
 僕は坂をゆっくりと上っていた。
 向かいから、黒の留袖を着た老婆が下ってきた。
 すれ違いざまに互いに小さく会釈でもしたろうか。
 誰か葬式でもあるのだろうか、
 ここに来るまでそのような家はなかった。
 あの老婆は、どこへ行くのだろうか。
 
 
 
 
 
 僕はこれ以上の詮索も、振り向くこともしなかった。
 一尺と離れぬ距離で、草履の擦る音が聞こえる。
 老婆は間違いなく、僕のすぐ後ろを付いてきている。 

 

 

 くっくっ、と、押し殺した様な笑い声とともに。

 

歴史になるというのはこういうことかもしれない

 今日、東大生と高校生が競うクイズ番組を見ていたら、トキワ荘マンガミュージアムについての問題があったんです。この問題については高校生の方が回答をして、その回答についての解説を、自らしていました。実はちょっとここのところで違和感を感じてしまったんですよ。


 彼が解説した概要に誤りはありませんでした。ちょっと違和感に感じたのは、「手塚治虫という歴史上の人物」という扱いで話をしているように聞こえたことなんです。いやそれはもはや仕方のないことなんですよ。彼ら高校生が生まれる遥か以前に手塚治虫は亡くなっています。言うなれば彼らにとっては歴史の一部です、教科書の数行・年表の数行に過ぎないのかもしれないのです、興味がなければ。


 しかし僕ら、昭和四十年代、ギリギリ昭和五十年代くらいまでの人間は、手塚治虫にしろ石ノ森章太郎にしろ赤塚不二夫にしろ、みんな現役で、その当時に書いた漫画をリアルタイムで読んでいる、わずかな期間でも同じ時間を生きている実在した天才、巨匠なんですよね。そのあたりのズレが、違和感の正体なんだろうな、と思います。あるいは年代の壁というか。


 わずかな期間でも同じ時間を生きているゆえに僕らは、例えば手塚治虫という存在に血肉を感じられるんだと思います。彼が生きたおよそ60年ちょっとを、現実の長さとして受け止められる。
 でも手塚治虫が亡くなった以後に生まれた人たちにとってはそうではなくて、先も言った通り年表の数行に収まる人なのかもしれないんだなぁ、というちょっとした寂しさみたいなものを感じたりするわけです。生きてきた道のりが圧縮されてしまうような感覚というか。

 

 歴史になる、っていうのはそういうことなのかもしれません。卑弥呼だって藤原道長だって織田信長だって坂本龍馬だって、それぞれの人生を生きているはずです。ただし教科書や年表上ではその人生が圧縮された状態で記されている。布団圧縮袋に入れられてぺったんこになった状態なのかもしれません。それらが昔から大量に積み重なっていって、新しい歴史が入ってきたら一番上に重ねられる、そんなものなんじゃないかと思います。

 その圧縮された中にはきっと彼らの喜怒哀楽が詰まっているのだけれど、表からは見えないんだろうなぁ、と。

 実際には布団圧縮袋に入れてもらえるだけでも良いのでしょう。そこにすら入れない人たちのほうが遥かに多いはずで。そんな人たちでもやっぱり笑ったり泣いたり怒ったりしていたんですよきっと。

 

 ちょっととりとめもない話になりました。
 年表に載れない人生でも、精いっぱい泣いたり笑ったりしましょう。