切り絵を売る男

 四十年ほど前の話。と聞いている。
 北へ向かう夜汽車のボックス席。男が二人、向かい合わせで座っていた。片や二十代半ばだろうか。少し派手目の背広だが、ネクタイはしていずに、シャツのボタンは2つほどはだけている。もう片方は歳が掴みづらい。四十半ばかとも思うが、それよりも上、と言われればそのようにも見える。グレーのスーツに少し濃いめの色の中折れ帽に丸眼鏡、手にはあまり厚みのないアタッシェケース
 これといった会話をすることもなく、じっと座っている。若い男は、窓の外をじっと見据えて、時折流れゆく通過駅の灯を目で追っていた。

 

 しばらくして、初老の男が若い男に話しかけた。
「もし。もし退屈でしたら、私の話を聞いていただけませんか」

 

 若い男は一瞬身構えたが、話を聞くことにした。
 初老の男は、アタッシェケースを開けて、話を始めた。

 

「私の仕事の話なんですがね。まあ、これを見てください。ご存知ですか、切り絵です。これをですね、まあ、地方におられる好事家の方々に販売をする、ということをしておりまして」
 アタッシェケースの中には、なるほど切り絵がきっちりと詰まっていた。見た限りでは、ほとんどが人の顔を模したもののようである。正面、横顔、斜め下から見上げたようなアングル……。
「そうなんですよ、風景などは一切扱いませんで。人物画のみを扱っています。幾枚か、ご覧になりますか」
 初老の男は若い男に何枚かの切り絵を手渡した。

 

 若い男は一つ一つ絵を眺めていく。切り絵は美しいものであった。繊細な切り口で人物の輪郭が浮き立ち、そしてその技巧以上にそれぞれが生気を帯びているように思えた。だが、何かがおかしい、若い男はそのように感じた。
「如何ですか。どれも素晴らしい出来栄えでしょう」
「確かに素晴らしい。どれも生きているようですね。ただ……」
「ただ、どうかされましたか」
「ただ、皆、苦しそうな顔ばかりですね。笑顔のものが一つもない」

 

 時折差し込む通過駅の灯が、二人の横顔を照らす。気が付いたら、この車両には二人のほかに乗客の気配がなくなっていた。

 

「そうなんですよ。私が取り扱っているものは皆、苦痛に歪んだ顔になるんです」
 初老の男の丸眼鏡の奥、とても冷めた眼が若い男を射抜くように見据えていた。
「例えばこの男。我孫子で3人を殺して、手賀沼に沈めています。こちらの女は、都合3人の亭主に毒を盛って服毒自殺に見せかけ、保険金を騙し取りました。そうなんです、皆、人間の屑なんですよ、ここに描かれているのは」
 若い男はただ息を吞み、話を聞かざるを得なかった。顔、脇、あらゆるところから冷や汗が流れるのを感じていた。
 初老の男は、アタッシェケースから泥の付いたリボンを取り出し、話を続けた。
「見覚えがあるでしょう。いや、あるはずだ。4年前、多摩川の河川敷で『あなたが』強姦して殺した少女の髪を留めていたリボンです」
「ち、違う。俺じゃない! 俺はそんなもの見たこともない!」

 

 次の瞬間、車両の電灯が一斉に消えた。と同時、2人のボックス席に、青白い少女の人影が現れた。髪は乱れ服装は泥だらけ、ブラウスのボタンは引きちぎられ片肌を脱がされている。顔中体中に殴打の跡。顔はさらに鬱血をし、首には索状痕。静かに若い男を睨んでいる。
 若い男は狼狽し、頭を抱えてボックス席にうずくまる。

 

 初老の男は、切り絵の台紙を一枚、アタッシェケースから取り出して言った。
「これでお判りでしょう、なぜ皆苦しそうな顔ばかりなのか。正しくは、怯え、です。皆、怯えているんですよ。……偶に怯えもしない者もいますがね、それは商売にならないんで焼き捨ててます」

 

「警、警察わわわ嫌だ、警察に行きたくない!」
 うわ言のように繰り返す若い男に、切り絵の台紙をかざしながら初老の男は言った。
「大丈夫です、警察になんか行きません。ただあなたは、切り絵になるんです。切り絵になってどこかの好事家に買われるのを待つんですよ。あなたほどの怯えであれば、喜んで買ってくれる人もいるでしょう」

 

 夜が明けた。
 夜汽車は未だ北の終着へ向けて走り続けていた。
 若い男と初老の男が座っていたボックス席に、人影はなかった。
 ただ若い男が座っていた席には、細かい紙の切り屑が無数に散らばっていた。

 

お題:「切り絵」「眼鏡」「リボン」

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