今宵の、或いは最後の肴

「……明後日付で、第六十二歩兵連隊に召集をされました。明後日早朝の汽車でここを離れます」
 少しお酒を召してから、あの人は私の目をじっと見据えてそう言いました。
「あなたとこうして会うことも、しばらくはできなくなりますね」
「……明日また、いらしてくださいませんか」
 意を決したように、私はあの人に声を掛けました。もう会えなくなるかもしれない寂しさから、はしたなくも私から声をかけてしまったのです。このまま私は忘れられてしまうのでは、という思いがそうさせたのだと思います。私は、あの人の一部になりたかったのです。

 

 翌日、あの人はまた来てくださいました。膳の用意をして、今宵の肴を前に、あの人に思い切って話しかけました。
「今宵の肴、いえ、魚、ですね。お召し上がりになる前にお話だけお聞きになってください。このお刺身は、お気づきでしょう、私の乳房です。人魚の肉を喰らえば、不老不死となる、と申します。
 私の思いです。どうぞ死なないで、生きて帰ってらして。でも、
 でも、あなたもご存知でしょう、不老不死であることの寂しさも。
 だから、召し上がらなくてもよいのですよ。あなたがお決めになってください」

 ここまで一気に話して、私は顔を伏せました。ええ、溢れ出る、とめどなく流れる涙を隠すためです。

 

 どれほどの時間がたったのでしょう。この私が、永劫の時、と感じるほどの間、あの人は考えていらしたんでしょう。意を決した声で言ったのです。

「ありがとう、あなたの気持ちはよくわかりました。でも僕は
 僕は、これをいただくことはできない
 戦地に赴くのです、戦闘服を身に纏い、相手の命を取りに行くのです。
 私が不死であったら、如何な憎き敵であろうと、それは不公平というものです」

「死ぬのは、怖くないのですか」
 私は涙ながらに聞き返しました。

「とても怖いですよ。だから、あなたの前でこんなことを言うのは失礼だけれども、限りある命でいたいのです。
 死の影にびくびくと怯えながら生きていくのが、僕には似合っている。でも、あなたの想いは、嬉しかった。ありがとう」
 私は、その場に顔を伏せ声を上げて泣いていました。
「傷、とても痛むのですか? 片方の乳房を切り落としているんだ、尋常ではない痛みでしょう」
「はい、でも、一週間もしましたら元に戻り始めますので、ご心配なさらずに」
 こんな時にでも、あの人は優しい。
 
「……、それでは、そろそろ戻ります」
「これでしばらくのお別れですね」
「指切りを、しましょう。僕は必ず戻ってきます」
「はい、待って、います」
 そして指切りのあと、あの人は熱い抱擁と、初めての口づけを呉れたのでした。



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Including
〈戦闘服〉
〈刺身〉
〈指切り〉