豊漁

 ある日。
 シーラカンスが大量発生した。どのくらい大量かというと、一度網を刺せば小型船では捌ききれないほど。海を覗けばその深い藍色の中、ごつごつとした鱗を輝かせた巨体が見渡す限りに群れを成しているほど。
 すぐに各国の海洋学術調査隊が派遣され豊漁の原因を探ろうとしたが、正直それどころではない。近場の港という港に、シーラカンスが千万という単位で揚がってくる。当面の問題は原因の究明などではなく、これをいかに捌くか、だった。
 捌くにあたって、困った事態があった。不味いのだ、この魚。食べても全く美味しくない。貧しい者たちは腹を満たすため、止むを得ず食べた。一緒に食べたパンの屑が、籠に集めると12籠にもなったかどうかは知らない。
 生きた化石だ、学術的に貴重なものだ。市民団体が保護を訴えるが、別にこいつらの寿命が三億年四億年であるわけでもない、これだけ水揚げされる以上、所詮単なる魚ではないかといった皮相的な意見に彼らは圧されていった。
 豊漁の噂を聞きつけ、日本人がやってきた。大して美味しくもないこの魚を、煮る焼く蒸す揚げるあらゆる技法を凝らし、2年とかからず誰の口にも美味と思えるような料理に仕上げた。また、その身を塩漬けにして干し、鮭に代わる加工品として年末の贈答品として珍重された。
 しばらくして中国人もやってきた。彼らは油で揚げて、甘酢のあんを掛けた。どうやら北京から来たらしい。日本人が掛けた月日のおよそ半分で、人が食べられるほどにはなった。
 最後に印度人がやってきた。彼らは三か月と経たず、カレーに仕上げた。

 そして世界中の街でシーラカンスの料理が並び、人々はこぞってそれを食べた。

 

7年も経ったころ。
 シーラカンスは、ぱったりと獲れなくなった。あれほど海を埋め尽くしていた魚影は見る影もなく、網を刺しても全くかからなくなった。それでも時折かかる一匹二匹は珍重され、全世界の美食家たちがこぞってその希少な魚体を買い求めた。
 海洋学術調査隊は、絶滅の危機に瀕しているのでは、と警鐘を鳴らしたが、人々はその味を(大して美味くもないのだが)、そしてそれが生み出す経済効果を知ってしまった以上、あとへは引けなくなっていた。個体の絶滅よりも、我ら人類の同胞が飢え死にしないこと、である。回りだした車輪は止められないのだ。

 

 およそ獲り尽くされたであろうかといった夏の日、大海原にシーラカンスの魚影があった。比較的海の浅いところを悠然と泳ぎ、しばしのち、深い藍を湛えた海の奥底へ、ゆったりとその姿を消していった。

 


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シーラカンス