あなたはだあれ
父の三回忌で実家に帰ることになった。今時、手紙一通だなんて、うちの家族もどうしたもんだか。家族なんだから、電話くらい入れるだろうに。まあ、半分家出同然で飛び出してきたので、わだかまりでもあるのかもしれない。
実家は、山間の小さな村落にある。何のことはない田舎だ。地元の議員に働きかけて引いてもらった立派な道路や橋、それに反するようなくたびれた民家がいくつか。そのうちの一軒が、うちだ。自慢ではないが、この村の中では比較的立派な造りになっている。
畑にでも行ったのだろうか、人の気配はない。玄関は開け放たれて、誰か近隣の人が置いていったのだろうか、ナスやキュウリが新聞紙の上に無造作に置かれていた。
事情はどうあれ、一応は実家だ。上がって待つことにしようと、靴を脱ぎ、仏間へと向かう。特段信心深い訳でもないのだが、子どものころからそうするように言われて育っているので、自然とそうしてしまう。線香を手向けて手を合わせ、位牌を見る。父の名から一文字を取った、立派な戒名が金彩で書かれている。
死んでしまえば、悪い思い出なんて溶けるように消えて、良い思い出だけが残っていくようだ。ふぅ、とひとつ溜息をつき、仏壇から一歩下がる。目線を上げると、父の遺影がこちらを見下ろしている。
待て。これはどういうことだ?
これが親父の遺影だって? 知らないぞこんな人は。
「なんだぁ、帰ってたのかぁ」
畑仕事から帰ってきたのだろう、家の者の声が聞こえてくる。立つこともできずに、私は声のほうを向いた。
「よく帰ってきたなぁ。いまお茶入れてくっからよ、ちっと待ってな」
幾分か年老いた声が台所の方へ向かう。
「お茶は要らないから。母ちゃん、ちょっとこっちへ来てくれ」
怪訝そうな声が、聞こえてくる。
「なんだぁ、帰る早々。何の用だ」
「あのなぁ、母ちゃん。父ちゃんの遺影なんだけどよぅ」
言いながら、声の主を見上げた。
知らない顔の人が、そこにいた。
「なんだぁ、父ちゃんの顔がどうかしただか?」
違う、違うじゃないか。
「おめぇ、なぁに青い顔してんだ?具合でも悪いんだっぺ」
ああ、具合は悪い。ほんのついさっきから混乱しっぱなしだ。遺影は父じゃない。今目の前にいるのは母じゃない。だがその人は私のことを明らかに知っている。
「なんだぁ、母ちゃん。どうしただ?」
兄貴だ。兄貴ならわかってくれるだろうか。この母は違う、と。すがる思いで兄貴が現れるのを待った。そして、絶望をした。
知らない顔だ。声は兄に似ているが、違う人間だ。
「なんかよぉ、顔合わせるなり腰抜かしてんだよぅ」
「そりゃああれだっぺぇ、久しぶりに顔合わせるんだ、気まずいのもあんだっぺよぉ」
「なんか具合悪いんじゃなきゃぁ、いいんだけんどもよぅ」
「都会からじゃあ、長旅だぁ。疲れてるんだっぺ」
混乱はまだまだ続いている。ひょっとして、今目の前にいるのが本当の母と兄なのか?私の記憶こそが誤りなのか?
いいやそんなことはない。葬儀の日、私は二人に顔を合わせている。父の死に顔も見た。それは鮮明に覚えている。声も、顔も、鮮明に。正気を保て。
「お前ら、誰だ?」
了