地口の旦那 三たび


 ああ、そこの小僧さん、……そうそう、そこのアタイだよ。ちょっとこっちへおいで。何もそんなに硬くなるこたァないよ、お小言喰らわせようって訳じゃァないんだ。ちょっと話し相手になってもらおうかと思ってね。お小言じゃァくて独り言ダァな。なに、同じ喰らうなら飴玉のほうがいいって。現金だねぇどうも。ほら、一個でいいかい。
 番頭さんはどうしてます?うん、奥に引っ込んでうなってます。饅頭食べ過ぎましたかね、あの人は甘党だから。お酒飲みすぎて頭が痛い。……そうかい、番頭さんが酒をねぇ。そうか。
 ねェ小僧さん、いや、吉松って言ったっけ?ああ、私の記憶もまだまだ大丈夫だねぇ。入ってきたときに聞いたのを覚えてたんだよ。で、吉松はさ、何でここに残ったんだい? 大番頭さんに誘われなかったのかい? うん、誘われました、でもこっちのお店の方がいいと。嬉しいことを言ってくれるねぇ。うんうん、大番頭さんは飴玉呉れたことがないからこっちがいいって。なんだいそれは。うん、大旦那様もよく飴玉とかお小遣い呉れたって。
 でもねェ、人っていうのは、薄情なもんだねぇ。大旦那の四十九日も終わらないうちにだよ、ここでお暇をいただきとうございます、長い間お世話になりましたって、店に居たほとんどがあたしに頭下げてさ、あたしゃお正月の挨拶にでも来たのかと思ったよ。で、こう、大番頭さんが捨て台詞だよ、

“あなたじゃあ、この大店を守れない!”

、なんてね。

 ……なにもそんなはっきり言わなくたっていいじゃあないか、ねェ。あたしだってね、分かってんですよ。ちゃらんぽらんなのはその通りですけどね、そこまでバカじゃあない。あたしじゃ大旦那の後釜なんて務まらないって、言われなくったって分かってンですよ、言われなくたって!

 ああ、ごめんよ、ちっと昂ぶってしまったねぇ。……お前も変わったやつだねぇ、こんな話し目ェキラキラさせて聞いててさ。
 まあその後は、お前もだいたい知っているだろう。みィんな、居なくなっちゃった。残ったのはお前を入れて小僧さんが三人、手代さんが一人。あとは、番頭さんか。番頭さんが残るとは思わなかったねぇ。あの人は出来る人だ、なんであたしなんかにずうっとくっついてくれているのか分かりませんでしたよ。てっきり大番頭さんと一緒に行ってしまうもんだと思ってましたからね。
 
こないだね、みんな居なくなった帳台でぼうっとしてたんだよ。そしたら番頭さんがいつになく思いつめた顔で来てね、“旦那様、お葬式の時にご挨拶に来た人の顔を覚えてますか”って聞くんだ。ああ、大体覚えてますよ、古くからのお得意さんはいらっしゃらなかったねぇ、来ていただいても若い手代さんが何人か、あとは若い職人さんか、って。そしたらね、その人たちがあたしの財産だ、って言うんだよ。来てくれた手代さんも職人さんも、みぃンなあたしのバカな話に付き合ってくれたりあたしが見つけてきた名は通らないけどいい職人さんじゃないですかって。でもね、それだけじゃ先代のお店を守って行ける訳ないじゃないか、あたしにゃ荷が重過ぎるよ、とこう言ったんだよ。そしたら番頭さんがね、いいかい、ここからが見せ場だよ。


 番頭さんが私の胸ぐらをグッと掴んで、
 “おう、いつまで下手糞が摘んだ豆腐みテェにグズグズやってんでェ、このスットコドッコイが! ウジウジショボくれてたってナァ、銭もおまんまも湧いてこねぇんだ、シャンとしやがれ、この唐変木
 いいかい、大して頭数は居やしないがここに居るのはなぁ、旦那といると面白ェからって何を血迷ったか好き好んで旦那に付いて行くって決めた奴ばっかりなんだよ。旦那んとこ挨拶に来たのだってそうだ、旦那なら面白ェモン目付けてくれる、旦那となら面白ェモン作れるって、伊達や酔狂で付いて来てんだ。
 旦那ァね、そりゃあ大旦那様みたいな商売はできないよ、それはあたしが保証する。でもね、いいモンを見付ける目はしっかりしてるよ。だから大旦那様は私のことを旦那に付けたんだ。それに最後の最後に大旦那様は言ったよ、あいつは私とは違う才覚がある、大店を回す器量じゃないが新しいことをやらせりゃきっとうまく行くってね。もうちっと自信を持ちない、旦那ァね、やりゃあ出来るんだよ。
 でもな、マァだグズグズやってるようならな、裏の井戸行って顔洗って出直して来い、このべらぼうめ! 私ァ、寝る!”

 

 ……ってェのが昨日の晩だ。どうだい、なかなか似てただろう。なんだい、そんなに目ぇ剥いてアワアワして。なに、後ろ?

 ああっ、番頭さん! なんだい水くさい。で、どこから聞いてたんだい。うん、大旦那様のくだりから。いやぁ、聞かせどころはそこじゃあなかったんだ、番頭さんの啖呵ね、あれは良く出来たねぇ。
 あ、吉松や、話を聞いてくれてありがとうよ。……本当に、ありがとう、ありがとう。
 さて、と。番頭さん、なに怖い顔してそこに突っ立ってんですよ。いいから座んなさい。
 あれからね、夜中に三遍朝に五遍、顔を洗いましたよ、ええ。なに、あれは物の例えでそういうことを言ってるんじゃない。分かってますよ、ンなこたァ。物の例えですよ、物の。
 でね、ちょっと相談なんだがね。大番頭さんのところ、暖簾分けってことにできないかねェ。まあ向こうが受けて呉れるってェんならですけどね。……そりゃあね、あんな後ろ足で砂かけて出て行くような真似されたんだ、正直はらわたァ煮えくり返ってるよ。でもねぇ、あたしじゃあ大旦那さんの掛けた看板を守り切れないのもホントだしね。
 だからね、播磨屋の名前だけでも残せないかと思ってるン。いや、あたしだって店たたむ気なんてこれっぽっちも思っちゃ居ないよ、もしもの時のために、ね。で、受けてくれるってんなら、いま店にかかってる看板、そうそう、アレもね、呉れてやっておくれ。で、こないだ来てくれた木彫りの職人さん、熊って言ったっけ、あれにね、新しい看板作ってもらいましょう。いかにもな、お堅い看板じゃあいけませんよ、今までにないようなね、こう洒落の効いたのがいいねぇ。風格? 知りませんよ、そんなこたぁ。風格なんてものは後から付いてくるおまけみたいなもんです。いいですか、番頭さん。大旦那様には悪いけど、あたしは新しいことを始めますよ。今までの播磨屋じゃあない。
 なんだい、そんな鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔をして。マァだ昨日の酒が残ってるのかい? 呑み慣れないもンを呑むからですよ。大方、やっすいのを行ったんでしょう。酒だけはね、いいのを行っとかないとダメですよ。悪酔いはするし、変な癖がついちまいますからね。
 そう、しょげてたっておまんまが頂けるわけじゃないですからね。今までみたいに、洒落とノリと勢いで行こうじゃあないか。あたしにはそれしかないんだからね。……うん、ゆンべ三度目に顔洗った時に気付きましたよ。
 でね、幾らかお金に余裕はあるかい。うん、それだけありゃあなんとかなるかね。なに、お得意さんと職人さんと呼んでね、パァーっと派手にやろうじゃないか。もちろん、お前たちもだよ。おぉーい、吉松、度々すまないけどちょっと来ておくれ。おつかいを頼みたいんだ。ちょっとそこの料理屋さんにね、仕出しを頼んできておくれよ。うん、三日後にね。じゃあ行っておいで。
 それと幾松、あと千代松。ちょっと来ておくれ。千代松にはね、ほれここに手紙がある。これを持ってね、職人さんとこを回ってきておくれ。それが終わったら今度はお得意さんのところだ。お前が一番足が速いからね。幾松、いま言ったことは全部覚えたね。千代松は脚ぃ速いけどそそっかしくていけないよ。千代松、わかんなくなったら、まっつぐここへ戻っておいで。で、幾松に次のところを聞くんだよ、分かったね。よし、じゃあ行っといで。
 幾松はね、お店で手代さんのお手伝いをね。うん、これから番頭さんをこき使うからね、帳場のいろいろを手代さんにお願いしたいンだ。その手伝いをね。お前さんは人よりちょっと時間がかかるけど勘定の間違いはないからね。で、千代松が戻ってきたときは分かってますね、頼みましたよ。
 というわけで手代さんはね、あんまり会う機会がなくて名前を覚えてなくてすまないねぇ。そういうわけだから。帳場のことは頼みますよ。……お前さんも酔狂だねぇ。なんだってこっちに残ったんだい。飴玉あげた覚えは無いんだけどねぇ。まぁ、いいや、残ってくれただけでありがたいよ。よく残ってくれたねぇ、本当に。

 なんだい番頭さん、今度は泣き出しちまって。なに、こんな立派な姿を大旦那の生きているうちに見せたかった。そうだねぇ、でもほらあれですよ、能ある鷹の爪は小粒でピリリと辛い、って言うじゃあないか。色々間違ってます? いいんですよ、多少のことは。あたしはね、やるときにはやるんですよ。

 

さぁて、パァッといきますよ! とりあえず付いといで!


 

かな?