帰路

日曜日の、そろそろ終電になろうかというこの深い時間の上野行き常磐線快速は、おおよその客をこの日暮里駅で吐き出す。終着まで乗るものはわずかだ。

充実した疲労感とともに、この駅で降りる。月に一度の約束の日。子供たちと会い、遊び、食事をする。たくさんの話をする。ただ一日許された日も間もなく終わる。ただ、感傷的になっているのはただ私だけなのだろう、子供たちは最高の笑顔で

「パパまたね!」

と言って大きく手を振っていた。……彼女の教育の賜物かな。いや、嫌味のつもりはないのだけれど。その彼女は、ちょっと前より笑顔が増えた気がする。まだまだわだかまりはあるのだろうけれども。

あの子たちも、いつまで会ってくれるだろうか。きっといつかは会ってくれなくなる。会ってくれたとしても今のように喜んではくれない時が来る。そうなったら、どうする? 

東北新幹線宇都宮線(この呼称に皆は納得しているのか?)を跨ぐ長い連絡通路を足早に歩きながら、そんなことを考える。

会ってくれなくなったときに、私たちは親子ではなくなるのだろうか。血が繋がっている以上、親子だ。それはその通りだが、あの子たちが私のことを不要だと思えば、会いたくないと思えば、そこで終わりになるのではないか。

まあいいか。仮にそうだとしても、会ってくれるうちは私たちは親子でいられる。父親のように、友達のように、精一杯接しよう。あいつ、これからも会わせてくれるかな。

私は、池袋方面行きの山手線を一本だけ見送ってから帰路に着いた。

 

来月も、変わりはないさ、きっと。

 

 

日暮里