多分、粗忽なんじゃないかな、という長屋

 「粗忽長屋」、という落語があります。


 浅草寺門前に行き倒れがある、というので見物にいった八兵衛、その行き倒れがとなりに住んでる熊にそっくりなので慌てて長屋へとって返し、

「熊、お前が浅草寺の前で行き倒れてるから早く来い!」

と、熊を浅草寺へ連れてくる。熊は熊で何の事かさっぱり分からず(俺が行き倒れてるって?)、仕方なく付いていく。

 行き倒れの顔を確かめると成る程なんとなく熊に似ている。

「ああ、これは俺だ、俺に間違いねぇ」

 と、熊。さっそく長屋へ運ぼうと、行き倒れを戸板に載せて長屋へと向かう。

「はて。この戸板に乗っている行き倒れは俺だが、戸板を担いでる俺は誰だ?」


 

 「それは、"どっぺるげんがぁ"じゃな」

「ああご隠居、何です、その"どっぺるげんがぁ"ってのは。それよりもよく追い付いてきましたね。歳の割には健脚だ」

「そこはそれ、大人の事情というやつだな。

 もとい、"どっぺるげんがぁ"というのはだな、遠く西洋の物の怪のひとつだ」

「へぇ。むじなみたいなもんですかい?」

 「まあそんなところだな。この"どっぺるげんがぁ"を見かけるとだな、数日のうちに死んでしまう、とこう言われておるのだ。それが証拠にほれ、その戸板の上にお前さんが転がっているだろう」

 「いやでもご隠居、なんかおかしくねぇですかい? そのなんとかってやつを見たらおっ死んじまうのに、俺ぁピンピンしてますぜ」

「……熊よ、その戸板を担いでるお前は本当に熊か?」

「馬鹿言っちゃいけねぇよ、いくらご隠居だからって怒りますぜ」

「それでは、お前は熊なんだな」

「そりゃそうですよ」

「それで、戸板の上にいる行き倒れは誰だ?」

「そりゃあ、……、俺? あれ?」

「いましゃべっているお前が本当の熊だと、誰が保証してくれるんだい?

 さっきお前さんが言ったな、"どっぺるげんがぁ"を見たら死ぬはずなのに、俺はピンピンしていると」

「ってぇことは、まさか。えぇ? 俺が"どっぺるげんがぁ"?」

「理屈で言えばそういうことになるな」

「そんな馬鹿なことあるかい。おい、八。お前なんとか言ってくれよ」

「いやぁ、俺もなんかおかしいと思ってたんだ。お前、本当に熊か?」

「お前までなに言ってやんだよぉ。……そうか、俺ぁ自分じゃ分からないうちに"どっぺるげんがぁ"って奴になっちまってたのか。そんなんなったら仕方がない、大川にでも飛び込んでしんじまおう」

 

「おう、熊、早まった真似をしちゃあいけねぇ」

「だれでぇ、てめえは……え? 俺なのか?」

「そう、俺はお前だ。そしてその戸板の上にいるのも、お前だ」

「……何かおかしなのが出てきちゃったなぁ、おい」

「この事象はドッペルゲンガーなどではない、ということだよ。

 俺たちは、"可能性"だ。それが何かの間違いで、この時代のこの場所へ集まってしまった」

「悪い、なに言ってんだか全っ然わかんねぇ。それよりも、お前も俺と同じ熊だってんなら、なんでぇその学者さんみたいなしゃべり方は」

「私のいたもうひとつの世界では、私は学者だ。つまり、熊という人間が学者となっているかもしれない世界があるわけだ」

「なんか分かったような分かんねぇような話だな。それはそれとしてだ、この行き倒れちまった俺をどうにかしてやんねぇと。こいつも俺だっていうんなら不憫じゃねぇか」

 と、戸板をえっちらおっちらと担いで長屋へ戻って参ります。長屋の衆にこれこれこう言う訳だ、と説明をするのですが、そこはまあ粗忽な熊のことですので、最後には、俺の葬式を俺が出す、となんだかよく分からない話で言いくるめてしまいます。長屋の連中も心得たもので、まあ熊の言うことじゃこれ以上なんか出てこないだろうと、さっさと棺桶の手配と湯灌の準備に入ります。

 まあとりあえず落ち着こうと家に入ろうとすると、向こう隣のかみさんから

「熊さんさあ、あんたが朝方飛び出して行ってからね、なんか誰かいるような気配がすんのよ。気を付けた方がいいわよ」

などと言っている。

 そんなわけぁねぇよ、誰かいたとしても、盗ってくものなぞなんにもねぇや、などと言って戸をガラガラ、と行きたいところですがまああまり上等な造りではないので、ずる、ガタ、ずるずる、ガタガタと出来る限りの勢いで戸を開ける。

 部屋の中を見て、うわぁっと飛び退き腰を抜かす。

 四畳半ほどの部屋のなかに七、八人、熊とおんなじ顔をしたのがひしめき合っている。それが一斉にこっちを向いたら、そりゃあ熊も腰を抜かします。

 

 「な、なんだお前ぇらは! どっぺるげんがぁか、へーこー何とかか! いったいどっちだ!」

 

「俺たちは、お前だよ」

「これからな、一人ずつ消えていくんだ」

「そこのそいつみたいに死んじまうかもしれない」

神隠しなんぞに遭うかもしれない」

「そして一人ずついなくなって」

「最後に残ったのが」

「この世界の"熊"だ」

まあ一人はうなずいているだけですが。

 

「んなこたぁ、今は置いといてだな。これから俺の葬式出すんで人手が足りねぇんだ、おう、オメェらも手伝え」

 七人だか八人だかの熊がお互い顔を見合わせて、

「なあ、話聞いてたか?」

「ああ聞いてるよ。なんか一人づつ消えてくんだろ? でも今はそれどころじゃねえだろう。“俺”がいま、ここで死んでるんだ、葬式出すのにいくら人手があったって足りねぇんだ。おう、テメェらも“俺”だってぇんなら、“俺ら”の葬式なんだ、ンなところでボサッとしてねぇでとっと表出て手伝いやがれ!」

 

 土間を合わせて六畳ほど、そんな長屋の戸がやっぱりガタピシと開く。そこから出てくるのが、おんなじ顔した熊、熊、熊……。長屋連中も唖然として、と思いきや。

「おう熊、おめぇこんなに兄弟がいたのか。手廻しがいいなぁ」

「おい、そこの熊とそっちの奥の熊。これから湯灌にするからこっち来て手伝え。それからそっちのなよっとした熊、おめぇは大家ん所行って、これこれこう言う訳で葬儀を出したく、って挨拶してこい。……なぁにグズグズやってやんでぇ、てめえら、自分の葬式出すんだ、グズグズしてねぇでとっとと行きやがれ!」

 

「八よぉ、あんまりポンポン言うもんじゃねぇよぅ。俺が文句言われてるみてぇでなんか気分悪ぃよ」

「お、おお悪かった。でもよ、お前、本当に熊か?」 

「そうに決まってるじゃねぇか! 熊だよ、お前の知ってる熊だよ!」

「ふぅん、へぇ、ほぉ。……まァ信じてやるよ。俺ぁちっと疲れた。人手も足りてるし、ちっと休むわ」

 

 と、八が自分の部屋の戸をこれまたガタン、ザリザリ、ガタンと開ける、途端にうわぁ、っと八の悲鳴、八が腰ぃ抜かして飛び出してくる。

 

「なんだ、どうした! 何があったんだ、八!」

 

「お、俺が、……俺が十一人いる!」

 

「なに、それはえらいことではないか」

 声のする方を振り返ると、ご隠居がぞろぞろ二十四人……。

 

 

ちゃんちゃん。