「真景 累ヶ淵」を読む  序・「真景 累ヶ淵」について

前書き

 先日、三遊亭円朝「真景 累ヶ淵」を読了しました。

 読み終えて、人間の業、はたまた因果、因縁といったものに中てられるお話で、しかも一つひとつが独立した話としても成り立ち、それを通して聴く(読む)ことで、この話の全容が見える、といった具合のお話です。

 自分自身も読み終えたものの、人と人、家と家の糸が絡み合い過ぎているので、自身の整理のためにいろいろ書いていってみようかと思います。

 正直、ガンガンと内容にいきます(古典落語にネタバレがあるのであれば、ですが)ので、そういうのお嫌いな方は、ぜひすっ飛ばしていただければと思います。

 

 それでは。

 

「真景 累ヶ淵」と三遊亭円朝について

 「真景 累ヶ淵」は、江戸後期から明治にかけて活躍いたしました、落語中興の祖、三遊亭円朝作の怪談噺です。現在残っているものは、三遊亭円朝が実際に高座で演じたものの演述速記です。

 三遊亭円朝は、このほかにも多くの落語を創作してい、「文七元結」や「芝浜」、「黄金餅」、「死神」、「鰍沢」、「牡丹灯籠」や「怪談乳房榎」などなど。

 「芝浜」、「鰍沢」に至っては、三題噺で即興で作ったとか。

 現代で『古典落語』、それもいわゆる大ネタと呼ばれるものの多くが、三遊亭円朝の作です(諸説あるらしいですが)

 中でも「真景 累ヶ淵」は壮大な話で、先の演述筆記にして97章、最近逝去されました桂歌丸さんが全7章をかけてほぼ最後まで演じたCDを残してくれています。「ほぼ」、というのは、演述筆記と比べると最後のあたりで、恐らく軸となるであろう話に大きく深く絡むものではないから、あえて演じなかったものと思われます。

 

「累ヶ淵」について

 『累ヶ淵』という場所は、現在の茨城県下総市に実際にある地名で、この「真景 累ヶ淵」は、そこに伝わる怪談話(実話とも)が下敷きとなっています。詳しくはWikiなどで。

 

 というのもなんですので、ざっくりと。

 与右衛門の後妻の連れ子の「助」が顔が醜く足が不自由で、それを疎ましく思った与右衛門は、「助」を川に投げ込んで殺してしまいます。その後後妻との間に「累(るい)」をもうけますがこれが「助」に生き写し、「助」の祟りだ重ねて生まれてきただと噂になり、誰も「るい」とは呼ばずに「累(かさね)」と呼ぶようになってしまいましたと。

 与右衛門もその後妻も亡くなり、「累」は谷五郎という婿を貰い、二代目与右衛門として一緒に暮らします。そのうちこの与右衛門も「累」が疎ましくなり、他の女とくっ付こうと「累」を川に突き落として殺してしまいます。

 その後与右衛門が貰う後妻という後妻は早くに亡くなり、六人目の妻との間にできた「菊」に「累」の霊が取り付いて、与五郎に疎まれて殺されたこと、供養をしてほしいと訴えるを聞いて近在の高僧が「累」の供養、解脱をしました。

 が、「菊」に今度は「助」の霊が取り付きました。在郷の古い者たちから、「助」と「累」の関係を知り、さる高僧は「助」の供養、解脱をします。

 現在も、法蔵寺に「累」の供養をする塚がある、とのことです。

 

 この話だけでも業に塗れているのですが、この話を元に、三遊亭円朝が怪談噺、というか一大人間ドラマに仕上げました。

 

以上を踏まえて

 以上を踏まえまして、次回からちょこっとづつお話の内容に触れていこうかと思います。

 大きく分けると、やはり7つくらいのブロックに分かれます。でもここでは、もうちっと細かく、一つ一つの出来事を出していこうと思います。

 

 

それでは次回、「宗悦殺し」から。