兄と弟

「……正直今になって、俺はお前の兄だ、お前の家族だ、と言われても実感がないんです。むしろ戸惑うばかりで。私には兄弟姉妹はいない、そう聞いていますから」
 私は苛立って、目の前に座っている兄に言った。そうだ、兄弟姉妹はいないというのは嘘だ、私にはただ一人、兄がいることを知っていた。

 私は養子に出された。もう三十年ほども前の話だ。

 
 数週間前、一度会えないかと“兄”から連絡があった。何を今さら話すことがある、と思った。
「私に兄弟姉妹はいない、そうして育ってきたんです。父も母も、私にはもう今の父母しかいません」
 私は電話口で、そのように“兄”に告げた。僅かに、朧気に残った、もうすでにあやふやな、もとの家族の思い出を切り離すようにして。
「だから、今になって私の人生に波風を立てるのは止めてほしいんです」

 それでも“兄”は、一度でいい、二人で話をさせてくれ、と喰い下がった。なんとか切り離すようにした、朧気で形を失いつつある過去が、不意に毒を、棘を持って喉元を下って行こうとしていた。それと入れ換えに、有らん限りの罵声が口を割って出ようとした。

 

 結局会おうと思ったのは何故だろう。“兄”だからだろうか。その“兄”に直接罵ってやろうと思ったからだろうか。

 待ち合わせに指定されたステーキハウスは半地下になってい、その奥まった席に、“兄”はすでに座っていた。恐らくは一番良い背広を着てきたのだろう、だがこの薄暗い店内で見ても明らかにくたびれたものだった。テーブルに視線を落とし、ただただじっとしていた。
 私は向かいの席に腰を下ろした。“兄”は視線を上げ、気まずそうに目をそらした。


 暫しの沈黙ののち、電話口で話したことを繰り返すように、“兄”に告げた。“兄”は相変わらず、目を合わせようとはしなかった。私に会うからだろう、髭こそ綺麗に剃っているが、口元や頬の弛み、目元の皺に生活の疲れが見てとれた。
 三十年から音信不通で突然会いたいなんて、お金の無心ですか、一体いくら欲しいんですか。腹立たしさと、みすぼらしい兄の姿を見たことで、危うく私はそんな言葉をぶつけるところだった。

 “兄”はウェイターを呼び、ハンバーグステーキを二人分オーダーした。もっといいものを奢りたいんだが、見ての通りだからこれで許してくれと、“兄”は恥ずかしそうに言った。そして、少しづつ話し始めた。

 

「本当に申し訳なかったと思っているんだ、俺も、母も。お前、いやすまない、君になんの説明もなく養子に出すようなことになってしまった。
 あのときの家は、本当に余裕がなかった。荒んでいた。君が生まれて半年くらいして、父が家出をした」

 

 小さな小さなガラスの器に入った、申し訳程度のサラダが二つ、そして小さなカップに入ったコンソメスープが二つ給仕された。
 それらに手を付けることもなく、兄は話を続けた。それを私は拳を握りしめて聞いた。いつでも兄を殴り飛ばせるように。

 

「母は必死だったんだ。俺も記憶のなかでうっすらと覚えているだけだけどな。帰ってくるのはいつも深夜。俺たちはそれまで、保育園、だったのかな、そこで母の帰りを待っていた。そのときは分からなかったが、夜の仕事だったんだな。二人の子どもを抱えているんじゃ仕方ない、って今なら思えるよ。
 そんな生活が続いてれば、母、母さんだって保たない。俺にも分かるくらいに家が荒れていった。イライラした母の怒鳴り声と、お前の泣き声とが一日中続いてた」

 

 私は、水を一口、飲んだ。怒りは一層増している。誰に対して? 目の前の兄か? 母か? 

 

「時々、帰りがとても遅くなる日もあった。そういうことだったんだろう、子どもの俺には分からなかったんだけれど。本当に限界だったんだよ、母さんも、そして俺たちも。実際、夜中に目が覚めたら、母さんが俺の首に手を廻していた。
 運が良かったのは、そこで母さんが踏み留まってくれたことだ。
 そして母さんと俺の、お前に対する罪も、母さんが踏み留まったことだ」

 

 想像はついた。母はもうどうしようもない。生活を立て直すには、私たちをどうにかするしかない。怒りに震えながら、私は口を開いた。
「それで、私を手放したのか。あなたではなく私を」

 

 暫しの沈黙のあと、兄は続けた。
「そうしなければ、いつか母さんは俺たちを手にかけていた。間違いなく。本当に、本当に辛うじて踏み留まってくれたんだ。
 そのままNPOへ駆け込んで、全てを話した、と言っていた。そしてそのまま、俺たちは施設に預けられた」

 

 私はこのしっかりと握りしめた拳をどうすればいいのだ。捨てられたのは私だけではない、兄も捨てられた。
 違う。
 捨てざるを得なかったのだ。

 

「そのうちお前には養子縁組の話が入ってその家に貰われていったんだ。
 俺はそのまま、十三になるまで施設にいた。
 母さんが迎えに来たんだ。やっと生活を立て直したって。戻っていったら、母さんは再婚していた。……義弟がいたよ。
 俺がうっとおしかったんだろうな、義父は義弟だけを可愛がり、俺とは反りが合わなかった。もう大丈夫だ、って戻った母さんのところが、俺が行った途端にガタガタだ」

 

「それで母さんは、兄さんを守ってくれなかったのか?」
 気が付けば、私は目の前にいる“兄”を、兄さんと自然に呼んでいた。

「守ってくれたよ。それこそ身を挺して、ってやつだった。いつもどこかにアザを作っていた。
 それも三、四年か。義父が仕事中の事故であっけなく逝っちまった。労災も出たんでね、少し楽になった。母さんのホッとした顔が忘れられないよ。
 俺はそのまま仕事に就いた。義弟もなんとか学校だけは出してやった。もう母さんを働かせるわけにはいかないから」

 

 私は、兄に対して抱いていた、心のなかで振り上げた拳をどう下ろそうか考えていた。そして、兄に問うた。

「それでも母さんは、私を手放したことに変わりはない。何故、顔も見せてくれなかったんだ」

「それは俺もだけど、施設から、会いに行ってはいけないと言われていた。そもそも母さんはお前の養子に行った家を知らなかった、教えてもらえなかったんだ。
 お前のことを見つけるのは、ちょっと骨が折れたよ。でも幸せそうにしてるのを見て安心した。母さんには伝えられなかったけどな」

 

 私たちのテーブルに紙のナプキンが敷かれ、熱い鉄板の上で、油の爆ぜる音を立てたハンバーグステーキの皿が置かれた。

 

「何故? 何故母さんには伝えられなかったんだ?」

 

 ナプキンを持ち上げてください、と給仕係が慇懃に告げた。

 

「……お前を見つけるちょっと前に、死んだ。まだ早かったよな、親孝行はこれからだってのに」

 

 給仕が鉄板の上のハンバーグステーキを切り、断面を鉄板に押し付ける。ジャアアアァァァ、と音を立てたところへソースをかける。脂が跳ね、盛大に蒸気があがる。

 

 湯気の向こうにある兄の表情は、伺い知ることができなかった。
 私も、兄の足跡を想い、母への蟠りが消えて、僅かに潤んだ眼を見られずにすんだだろう。

 

 湯気もひとしきり落ち着いたところで、兄が一葉の写真を私に差し出した。
「母さんの遺品だよ。お前の写真だ」

 そうか、幼いころの私は、こんな顔をしていたのか。
 何気なく写真を裏返す。そこには、
 『ごめんなさい』
 と、幾度も幾度も書き込まれていた。

「兄さん、今度母さんに線香をあげに行ってもいいか?」
 兄は、何も言わずに頷いた。

 私たちは、それぞれのわだかまりを一口大に切り分け、胸の奥へ押し込んだ。