ミネルヴァに仕える

「池袋ってさ、何かがおかしいんだよね。どこかチグハグなんだよ」

サンシャインシティの地下で買ったブルーシールの紅芋ソフトをせっせと口に運びながら、君が言う。チグハグ。チグハグねぇ。だいたい何を言おうとしてるかは分かる。

「そう、空間の歪みが顕著じゃないか、ここ池袋は。なんで東に……」

「東に西武で西に東武があるんだ、だろ。アイス溶けるぞ」

「で、その理由はわかってるんだよ」

君は滴れかかった紅芋ソフトを舌ですくい上げる。ありがとうくらい言ったらどうだ、おい。

「この地を司る女神が石に変えられてしまっているからな。ほら、待ち合わせ場所にあるだろう」

ああ、『いけふくろう』な。ちょっと訂正をしたほうがいいな。あれは女神じゃなくてフクロウだし、もし女神の使い魔のことを言っているなら、それはフクロウじゃなくてミミズクだ。あれ、そうだったけ? ちょっと自信はない。まあそれはどうでもいいか。

「どうだ、二人で女神を解放しないか? そうなれば我々は英雄だ、夢があると思わないか?」

あーあーあー、もう手がベタベタじゃないか。女神を解放する前に洗面所で手を洗ってこよう、な?

「よし、それでは行くぞ。付いてきな」

はいよ。どこまでも付いていきますよ。

「……手を繋いで行くぞ、悪い奴らに付け込まれないようにな」

手、ベタベタだよ? なんでそんなに満面の笑みで手を差し出すかな。……そうだね。手を繋いで行こうか。

 

 

池袋

 

相棒

 目白の駅まで来い、って一体なんだってんだよまったく。今日は雨になるっていうからあんまり出かけたくないんだけど。どうしても頼みたいことってなんだよ、そういうのは勿体つけないで先に言ってほしいよな。

 改札を出て右手、いつもの待ち合わせ場所にヤツは先に着いていて、どんよりとした空をぼうっと見上げていた。側にはヤツのバイク。出会った時から乗ってるバイク。こいつが動かなくなるまで乗り続けるんだ、なんて言ってたな。

「ああ、来てくれたんだ、ありがとう。……ちょっとさ、大事な話があってさ、そこの喫茶店で話そう」

 何か思い詰めてるのか、ヤツはいつもと様子が違う。とりあえずは駅の隣にあるホテルのカフェで話をすることにした。

「あのさ、言いづらいんだけどな。……バイク、降りることにしたんだ」

 へ? あれだけ乗り続ける、って言ってたのに? 他人にまでバイクはいいぞ、お前も免許を取れって言ってたのに? 

「うん、なんかごめん。本当にごめん。免許まで取らせたのにな」

 まったくだよ、人のことを巻き込んでおいて。いち抜けた、ってなんだよそれ。

「で、お願いがあるんだ。これのことなんだけど」

 目の前にバイクのキーを差し出してどうしたんだ、人の言うことを聞いているのかおい。

「こいつにな、乗ってやってほしいんだ。引き取ってもらおうと思ったんだけど、流石にそれには忍びない。思い入れが強すぎるんだな。で、お前に乗ってもらいたいと思った。いや是非乗って欲しい。お願いします」

 なんだよ、何もかも勝手に決めて。ふざけんなよ、そんな言い方されたら断れないじゃないかよ。なんだよそれ。

「ヘルメットは、これ、プレゼントするよ。新品だから安心して」

 なんだよこんな派手なの。センス無いんじゃないの、……いや悔しいけど俺より遥かにセンスがいい……。

 

 ちょっと長めの沈黙を挟んで、ヤツのスマホが振動し、メッセージの受信を告げる。二三のやり取りの後、口を開いた。

「迎えが到着するみたいだから、そろそろ行くわ。どうする?」

 迎え? なんだそれ。

 表に出ると目白通り、右手の学習院の木立を切り裂くように? 一台の真っ赤な軽自動車がやってきた。その軽の助手席にヤツは滑り込んだ。

 運転席には、言ってはなんだが冴えない男。それと楽しそうに話すヤツ、彼女。そうかそっちを取ったってわけか。

 挨拶もそこそこに、赤い軽は目白通りを練馬方面へ走り去っていった。後には、彼女の愛車だったバイクが、いつの間にか降り出した梅雨どきの柔らかな雨に打たれていた。

 お互いに捨てられちまったな、あいつは薄情だよなぁ。

 キーを差し込んで右に捻る。ケッチン喰らうならそれでもいいや、一気にキックペダルを踏み込むと、俺の相棒は悲しみに満ちた咆哮を上げた。

 

これからよろしくな。

 

 

目白

決斗 抄訳

 

高田馬場駅近くにある、とある雑居ビルに足を踏み入れば途端に、湿気を帯びた熱風と埃っぽさと人熱が支配する異国の街へ迷い込んだような錯覚に陥る。

階を二つ上がり、中程の、商売をやる気があるのかないのか分からないような小さな間口の店に入る。中にいる3、4人の男たちが私の気配に気づき、一斉に視線をこちらに向けた。

「この店の主人はいませんか。他の者に用は無いです」

店の中の男たちはいきり立ち、二人ほどが顔を近づけ品定めをするように睨め回し、残りの者は聞くに堪えないような罵声と下劣な野次を浴びせる。だが、ただ吠えるしか能が無い駄犬のようなこんな奴らに拘う気などさらさらない。

「礼儀を弁えろ、若造。用があるならそれなりの礼を尽くすものだ」

私を囲む男たちをかき分け、品の良い、もう老年と呼ぶに相応しい男が現れた。

「店主ですか? 私に力を貸してもらえませんか」

こちらを、と言ってアミュレットの欠片を差し出す。老人はそれを一瞥し、私の頰げたを一発、拳で力任せに張り飛ばした。

「ならば尚更だ。王族の者なら如何様な相手であれ礼節を忘れるな。……それで、どのような手助けをお望みでしょうか」

「先代の仇が見つかりました、一週間後に、討ちます。王家に仕える一族の長として立会いをいただけますか」

頰をさすりながら、私は用件を伝える。老人はアミュレットのやはり欠片を取り出し、先の欠片に添えた。

「勿論ですとも、それが我が一族の今まである理由です。ーーヤス! ヤスはいるか?!」

奥から、長身の男がのっそりと現れ、老人の脇に立つ。

「これをお連れ下さい。何かの役には立ちましょう。では、一週間後に」

 

 

一週間後。

「先の王の落とし胤か。しつこいものだなぁ、おい」

取り巻きを含め、相手は十二人といったところだろうか。対峙するこちらは三人、と、ヤス。

「なぁに馬鹿正直に名乗りを上げてるんですか、もう。後ろからそっと真ん中のやつにずぶりと行けばそれで終わりじゃあないですか」

ヤスが物騒なことを言う。だがその通りだ。奴は隙だらけだったのだ。そこに仕掛ければそれで終わりだった。

「要らぬ苦労をかける。勝ち目はまだあると思うか?」

「そちらのお二方、二人いけますか? いや、ひとり頭で二人はなんとかしてください。無理でもやってもらいます。そう、旦那の脇を固めて。

 大丈夫、いけます。旦那は真ん中のだけをね。いいですか、練習通りに。腰だめにして、体ごとですよ。道はあたしたちが開きます、真っ直ぐに行ってください」

相手の手下が四人、しびれを切らして飛びかかる。ヤスが振り返る。白刃一閃。四人は地面に倒れ込む。首筋、脇、内腿付け根に傷を負い、既に動けなくなっていた。ヤスが呟く。

「前言撤回。一人づつ、確実にお願いします。 ……それでは!」

私たちは混乱をする仇に向かい、その距離を一気に縮めていく。

数多の先祖たちよ、我らに力を!

 

 

高田馬場

チャメ。

まるで外国のような、と言われるのと、まるで異国のような、と言われるのでは受ける印象がいくらか違う。前者にはアングロサクソン的欧米感があり、後者にはラテン的なもの、あるいはもっとエキゾチックな響きを孕んでいる。新大久保は、明らかに後者だ。

韓流からこちら、ソウルの一角がここに越して来たのではないか、というほどの隆盛はすでに過ぎ去ったが、それでもまだ一大勢力である。食い意地の張った私には、サムギョプサルやホットクの街である。

 

でもここでちょっとお話ししたいのは、マクワウリのこと。

マクワウリ。名前の通り、ウリの仲間

です。うーんと、どちらかというとメロンですね、プリンスメロンとかハネジューとかの、あのー、網あみじゃないやつね。なんとなくイメージできました?

昔から父や母に、マクワウリは甘くて美味しい、夏が近づくとそれを食べるのが楽しみだったと聞かされて、どれだけ美味しいものなのかと期待をしたものですよ。……思い出補正かなぁと思いますけど。

他のメロン勢に押されて、もうあまり見かけなくなってしまったんですけどね。

そのマクワウリがね、買えるんですよ、新大久保の韓国スーパーで。なんか韓国では結構ポピュラーらしくて。

ちなみに韓国語ではマクワウリのことを「チャメ」って呼ぶらしいですよ。護得久流だね。アッチャメ。

で、今日買ってきたんですよ。チャメ。二つで700円。思いのほか小振りでしたよ。ただ香りはメロンっぽいです。……メロンっぽいといえば聞こえはいいですけどね。なんとなくわかりますよね、悪い意味でのメロンっぽい香り。そういうことです。

 

今度味の報告をしましょうね、

 

 

 

新大久保

 

手紙

前略

 もう随分とお姿を見かけておりませんが、大事なくされてましょうか。

 思えば、新宿で働き始めた、というお話をちらと伺ってから随分と日が経ったように思えます。日が燦燦と降り注ぐ日中であっても、どこかに影を抱えているようなあの街はどこかあなたに似ていて、きっとあの街に同化してしまいもう見つけることも叶わないのでしょう。

 私はあなたが文章を書く姿勢に感銘を受けて、色々なものを書き記すようになりました。もちろんあなたの書く、自らの身を削るような、それでいて繊細で儚いものには到底及ぶことはないのですが。

 そして今この企画を始めてみて、毎日何かを書く、ということの難しさというか辛さが身に染みています。一年間通して何かを書くということが如何に大変であったか、ひょっとしたらそのようなことは微塵も思っていなかったのかもしれませんが。

 またいつか、そう、気が向いたときにでも、ものを書く人として顕現され、願わくは新たな世界を提示いただければ幸いです。いつまでも、お待ちしております。

 

 あなたの健康と、ますますの発展をお祈りしております。

 

ふっとさん 拝

 

 

 

新宿

 

ウグイス

”ウグイスはカナリヤに一目惚れ

また会いたいと思っていたら

反対側でまた出会い

束の間並んで 共に飛び

となり同士となったとさ

でもそれは そこまでのこと

カナリヤは

アカショウビンに連れられて

離れ離れの泣き別れ

ウグイスはただ一羽

また会えるときを待ち焦がれ

巡り巡っていったとさ”

 

「何、これ?」

 父が差し出した紙片を見て、僕は尋ねる。

「ゲームだよ。今度の日曜がいいな、この “ウグイスとカナリヤが出会う” ところまでおいで」

 僕の頭の中は「?」で埋め尽くされる。ウグイスとカナリヤが出会う場所って、どこ? それよりもなんでこんなことしなくちゃいけないの?

「こういうのは嫌いだったか? 結構無理やりだからそんなに難しくはないぞ」

 と言って、にんまりと笑った。なんだ、自作かよ。

「まだまだ父さんのほうが凄い、って証明しないとな」

「いやなんでこんな勝負に乗らなきゃいけないのかわけ分からないから」

「そうか、残念だな。我が家の大切な秘密をお前に託そうと思っていたんだけどな」

 じゃあそれは父さんが墓の中まで持っていくか、と言って窓の外を見た。その時かすかに、

「今じゃなきゃ、ダメなんだ」

 と呟く声が聞こえた。

「わかったよ、この他にヒントはないの?」

 僕は紙片を取り、父の挑発に乗った。その瞬間の、父のしてやったりといった顔を忘れない。

「都内の、どこかだ。難しくはないから。そこで一日待ってるから、必ず一人で来るんだぞ」

 

 それから日曜までの間、日曜まで二日しかなかったのだが、暫しの間考えた。脇から弟が興味深そうに覗き込んできて、なにこれ変なの、とだけ言ってどこかへ行ってしまった。

……ウグイス、カナリヤ、アカショウビン。みんな鳥の名前なのはわかった。鳥が出会って一緒に飛んで、別れ別れになって。どこかの公園かな? 鳥がいそうなところはそれくらいしか思いつかない。でもさ、こういう言い方をするってことは、これは鳥じゃない何かなんだよ、きっと。ウグイス……、カナリヤ……、カナリヤ、ウグイス、色! アカショウビンの画像は? やっぱり! 

 それじゃあ、ここだ!

 

 日曜日の朝はやく、僕がまだ寝ているうちに、父は出かけて行った。母に伝言が託されていた。

“来るのは昼過ぎでいいぞ”

 それなら、たっぷりと時間をかけて行けばいいか、三時くらいに着くように。待たせるだけ待たせてやる。でも待てよ、さっさと目的地に行って鼻を明かしてやってもいいな。

 という事で、僕はお昼ほぼジャストに代々木駅にいた。父はにっこりと笑って、僕を迎えてくれた。

 

 ウグイス色は山手線、カナリヤ色は総武線秋葉原で一目惚れして、代々木でまた会って。新宿まで一緒に走って、総武線アカショウビン、たぶん中央線と一緒に離れていく。山手線は、また秋葉原を目指していく。どうだ。

「ああ、簡単すぎたかぁ。大正解だ」

 父は機嫌良さそうに大笑いをした。

「でもさ、『ウグイスはウグイス色じゃない』んだよ」

 少し自慢げに僕は言った。

 父は、ああそうか、とだけ言って、相変わらず笑っていた。

 

 ホームのベンチに並んで座り、父はぽつぽつと話し始めた。

「あの問題な、昔母さんに渡したやつなんだよ。お母さんは総武線を使ってて、父さんは山手線で。たまたま代々木駅で一緒になったんだ。ラブレターのつもりで渡したんだけどな、ちょっと引かれた。

 でもよく俺なんかと一緒になってくれたと思うよ、母さんにはほんと頭が上がらない」

 総武線が停まり、そして走り去った。

 そんな話を父とするのは、おそらく初めてだろうと思う。僕は少し照れくさくて、うつむいて聞いていた。

「さて、と。我が家の秘密を伝授しなければな。……と言っても、つい最近できた秘密なんだけどな。……父さんな、がんなんだって」

 山手線が客を吐き出し、新宿へ向けて走り出した。

 僕はうつむいたまま、それを聞いた。なんでもない風を装った? いいや違う、父を見る勇気がなかったのだ。

「母さんはまだ知らない、お前に初めて話した。何かあったら、母さんたちを頼むよ。お願いします」

 隣で、父さんが頭を下げる気配がした。なんで僕なんかに、そんな重たいものを持たせようとするんだ。そんな頼み方をされたら、断るわけにはいかないじゃないか。

 

「さて、そろそろ行くか。何かうまいもの食べて帰ろう。なんでもいいぞ?」

 父は、父さんはいつもの調子に戻って言った。

 今まさにホームに滑り込んで来た山手線に、僕らは乗り込んだ。

 

 

 

代々木

 

 

 

 

出られるのか

 ホームは人で溢れている。到着する列車から吐き出される人、人、人。それを受け止めるのは、島式ホーム一本だけ。改札口は二つあるにはあるが、どちらも人が掃けていく気配がない。

 

 そして、その真っ只中に、俺はいた。

 

 二進も三進も行かない、とはこのことだ。進むも叶わず退くも能わず。そうしているうちに山手線の銀色の車両が人々を吐き出し、その新たな降車客たちがやっと空いたスペースを埋め尽くし、元の木阿弥となっていく。

 

 少しでいいから、前へ進まないものか。

 

イライラが募る。すでに3本の内回り、4本の外回りを見送った。その度に人々が吐き出され、ホームを埋め尽くしていく。この遥か先にある改札口は、どうなっているのか。本当に出られるのか。疑心暗鬼になっていく。

 

 あれから少しでも前へ進んだだろうか。ホームの上は既に飽和状態で、立錐の余地はない。次の列車が着いても、誰も降りられないだろう。

 しかしこれだけの混雑だというのに、誰も愚痴すら漏らさないというのは一体どういうことだ? そう思うと少し気味が悪くなってきた。まさかこの中でイラついているのは俺だけなのか?

 

 そろそろ我慢も限界に近づいてきた。そっと呟く。

「……明治神宮側の降車ホームを開放すればいいのに」

 その瞬間、今までになかった明確な悪意が四方八方から俺に向けられるのを感じた。悪意、敵意、舌打ち。何なんだ、これは。この集団は何なんだ。何かの意思が働いているのか。俺はこの得体の知れない集団に飲み込まれたままで、どうすればいいんだ。

 

 あれからどのくらい時間が経ったのだろう。日が傾き始めたのがわかる。

 俺はまだ、ここ、原宿のホームにいる。

 

 ここから出してくれ、お願いだ。

 

 

 

原宿