染井吉野

 「この辺りがさ、ソメイヨシノの発祥の地なんだって。ほら、こんなところに碑がある」

「おお、本当だ。こんな改札を出てすぐ目の前の白山通りを渡ってすぐ、線路脇に目立たずひっそりとあるなんて」

「誰に対する丁寧な説明なんだそれは。まあ実際はこの辺から駒込にかけてらしいけどね」

「そういやさ、ソメイヨシノって、なんで一斉に咲くか知ってる?」

「知らね。でもそう言えば桜って一斉に咲くなぁ。なんで?」

ソメイヨシノってさ、タネから育たないんだって」

「へ? それじゃどうやってあんなに生えてんのよ。結構な数だよ、あれ」

「うん。あれさ、みんな接ぎ木なんだって。だから、みんなおんなじ木なんだよ、理屈上は」

「へえ」

「みんなおんなじ木だから、咲く時期も一緒になるんだってさ。だからあれだけ計ったように一斉に咲く」

「なるほど。詳しいね、親戚にソメイヨシノでもいるのか」

「違うわ。テレビで見たの」

「なんだ受け売りか。でも為になった、ありがとう」

「ドイタシマシテー」

「あ、その言い方はなんかイラっとくるな。前言撤回しようかな」

「ああごめん悪かった。チロリアン買ってあげるから許して」

 

 

巣鴨

詠唱

 都電荒川線は緩やかな坂を下りきった、ここ大塚駅前で大きく左に曲がり、山手線の高架に隠れるようにして停まった。そう多くはない降車客と乗り換え客を詰め込み、小さな一両編成は北へと走り出す。

 僕は駅前の広場で、それをぼうっと眺めていた。何もやる気が起きず、電車の中で過呼吸のようになり、どうにもならなくて飛び降りた駅が、たまたま大塚駅だった、というだけなのだが。

 会社には体調不良ということで休みを貰った(明日から僕の席はあるだろうか)。とにかく平静を取り戻したいと、駅前の広場にあるベンチで何も考えずにじっとしていることにした。

 何本かの都電の上り下りを眺めているうちに、だいぶ心が落ち着いてきた。ふと、口を突いて言葉が出た。

「おーつかー……」

「……かどまーん……」

 

?! なんだ? どこから聞こえてきたんだ? 

 

「……おーつかー……」

「……かどまーん……」

 

 隣に座った老爺が、子連れの女性が、口々に言い始める。

 

「おーつかー」

「かどまーん」

 

ステレオ、サラウンド、5.1ch。右から左から前から後ろから、山手線の高架に反響し、あらゆる所から、

「おーつかぁー!」

「かどまぁーん!」

 

なんなんだよ、かどまん って!

 

「おおーつかぁぁぁーー!」

「かどまぁぁぁーーーん!」

 

 

大塚

ミネルヴァに仕える

「池袋ってさ、何かがおかしいんだよね。どこかチグハグなんだよ」

サンシャインシティの地下で買ったブルーシールの紅芋ソフトをせっせと口に運びながら、君が言う。チグハグ。チグハグねぇ。だいたい何を言おうとしてるかは分かる。

「そう、空間の歪みが顕著じゃないか、ここ池袋は。なんで東に……」

「東に西武で西に東武があるんだ、だろ。アイス溶けるぞ」

「で、その理由はわかってるんだよ」

君は滴れかかった紅芋ソフトを舌ですくい上げる。ありがとうくらい言ったらどうだ、おい。

「この地を司る女神が石に変えられてしまっているからな。ほら、待ち合わせ場所にあるだろう」

ああ、『いけふくろう』な。ちょっと訂正をしたほうがいいな。あれは女神じゃなくてフクロウだし、もし女神の使い魔のことを言っているなら、それはフクロウじゃなくてミミズクだ。あれ、そうだったけ? ちょっと自信はない。まあそれはどうでもいいか。

「どうだ、二人で女神を解放しないか? そうなれば我々は英雄だ、夢があると思わないか?」

あーあーあー、もう手がベタベタじゃないか。女神を解放する前に洗面所で手を洗ってこよう、な?

「よし、それでは行くぞ。付いてきな」

はいよ。どこまでも付いていきますよ。

「……手を繋いで行くぞ、悪い奴らに付け込まれないようにな」

手、ベタベタだよ? なんでそんなに満面の笑みで手を差し出すかな。……そうだね。手を繋いで行こうか。

 

 

池袋

 

相棒

 目白の駅まで来い、って一体なんだってんだよまったく。今日は雨になるっていうからあんまり出かけたくないんだけど。どうしても頼みたいことってなんだよ、そういうのは勿体つけないで先に言ってほしいよな。

 改札を出て右手、いつもの待ち合わせ場所にヤツは先に着いていて、どんよりとした空をぼうっと見上げていた。側にはヤツのバイク。出会った時から乗ってるバイク。こいつが動かなくなるまで乗り続けるんだ、なんて言ってたな。

「ああ、来てくれたんだ、ありがとう。……ちょっとさ、大事な話があってさ、そこの喫茶店で話そう」

 何か思い詰めてるのか、ヤツはいつもと様子が違う。とりあえずは駅の隣にあるホテルのカフェで話をすることにした。

「あのさ、言いづらいんだけどな。……バイク、降りることにしたんだ」

 へ? あれだけ乗り続ける、って言ってたのに? 他人にまでバイクはいいぞ、お前も免許を取れって言ってたのに? 

「うん、なんかごめん。本当にごめん。免許まで取らせたのにな」

 まったくだよ、人のことを巻き込んでおいて。いち抜けた、ってなんだよそれ。

「で、お願いがあるんだ。これのことなんだけど」

 目の前にバイクのキーを差し出してどうしたんだ、人の言うことを聞いているのかおい。

「こいつにな、乗ってやってほしいんだ。引き取ってもらおうと思ったんだけど、流石にそれには忍びない。思い入れが強すぎるんだな。で、お前に乗ってもらいたいと思った。いや是非乗って欲しい。お願いします」

 なんだよ、何もかも勝手に決めて。ふざけんなよ、そんな言い方されたら断れないじゃないかよ。なんだよそれ。

「ヘルメットは、これ、プレゼントするよ。新品だから安心して」

 なんだよこんな派手なの。センス無いんじゃないの、……いや悔しいけど俺より遥かにセンスがいい……。

 

 ちょっと長めの沈黙を挟んで、ヤツのスマホが振動し、メッセージの受信を告げる。二三のやり取りの後、口を開いた。

「迎えが到着するみたいだから、そろそろ行くわ。どうする?」

 迎え? なんだそれ。

 表に出ると目白通り、右手の学習院の木立を切り裂くように? 一台の真っ赤な軽自動車がやってきた。その軽の助手席にヤツは滑り込んだ。

 運転席には、言ってはなんだが冴えない男。それと楽しそうに話すヤツ、彼女。そうかそっちを取ったってわけか。

 挨拶もそこそこに、赤い軽は目白通りを練馬方面へ走り去っていった。後には、彼女の愛車だったバイクが、いつの間にか降り出した梅雨どきの柔らかな雨に打たれていた。

 お互いに捨てられちまったな、あいつは薄情だよなぁ。

 キーを差し込んで右に捻る。ケッチン喰らうならそれでもいいや、一気にキックペダルを踏み込むと、俺の相棒は悲しみに満ちた咆哮を上げた。

 

これからよろしくな。

 

 

目白

決斗 抄訳

 

高田馬場駅近くにある、とある雑居ビルに足を踏み入れば途端に、湿気を帯びた熱風と埃っぽさと人熱が支配する異国の街へ迷い込んだような錯覚に陥る。

階を二つ上がり、中程の、商売をやる気があるのかないのか分からないような小さな間口の店に入る。中にいる3、4人の男たちが私の気配に気づき、一斉に視線をこちらに向けた。

「この店の主人はいませんか。他の者に用は無いです」

店の中の男たちはいきり立ち、二人ほどが顔を近づけ品定めをするように睨め回し、残りの者は聞くに堪えないような罵声と下劣な野次を浴びせる。だが、ただ吠えるしか能が無い駄犬のようなこんな奴らに拘う気などさらさらない。

「礼儀を弁えろ、若造。用があるならそれなりの礼を尽くすものだ」

私を囲む男たちをかき分け、品の良い、もう老年と呼ぶに相応しい男が現れた。

「店主ですか? 私に力を貸してもらえませんか」

こちらを、と言ってアミュレットの欠片を差し出す。老人はそれを一瞥し、私の頰げたを一発、拳で力任せに張り飛ばした。

「ならば尚更だ。王族の者なら如何様な相手であれ礼節を忘れるな。……それで、どのような手助けをお望みでしょうか」

「先代の仇が見つかりました、一週間後に、討ちます。王家に仕える一族の長として立会いをいただけますか」

頰をさすりながら、私は用件を伝える。老人はアミュレットのやはり欠片を取り出し、先の欠片に添えた。

「勿論ですとも、それが我が一族の今まである理由です。ーーヤス! ヤスはいるか?!」

奥から、長身の男がのっそりと現れ、老人の脇に立つ。

「これをお連れ下さい。何かの役には立ちましょう。では、一週間後に」

 

 

一週間後。

「先の王の落とし胤か。しつこいものだなぁ、おい」

取り巻きを含め、相手は十二人といったところだろうか。対峙するこちらは三人、と、ヤス。

「なぁに馬鹿正直に名乗りを上げてるんですか、もう。後ろからそっと真ん中のやつにずぶりと行けばそれで終わりじゃあないですか」

ヤスが物騒なことを言う。だがその通りだ。奴は隙だらけだったのだ。そこに仕掛ければそれで終わりだった。

「要らぬ苦労をかける。勝ち目はまだあると思うか?」

「そちらのお二方、二人いけますか? いや、ひとり頭で二人はなんとかしてください。無理でもやってもらいます。そう、旦那の脇を固めて。

 大丈夫、いけます。旦那は真ん中のだけをね。いいですか、練習通りに。腰だめにして、体ごとですよ。道はあたしたちが開きます、真っ直ぐに行ってください」

相手の手下が四人、しびれを切らして飛びかかる。ヤスが振り返る。白刃一閃。四人は地面に倒れ込む。首筋、脇、内腿付け根に傷を負い、既に動けなくなっていた。ヤスが呟く。

「前言撤回。一人づつ、確実にお願いします。 ……それでは!」

私たちは混乱をする仇に向かい、その距離を一気に縮めていく。

数多の先祖たちよ、我らに力を!

 

 

高田馬場

チャメ。

まるで外国のような、と言われるのと、まるで異国のような、と言われるのでは受ける印象がいくらか違う。前者にはアングロサクソン的欧米感があり、後者にはラテン的なもの、あるいはもっとエキゾチックな響きを孕んでいる。新大久保は、明らかに後者だ。

韓流からこちら、ソウルの一角がここに越して来たのではないか、というほどの隆盛はすでに過ぎ去ったが、それでもまだ一大勢力である。食い意地の張った私には、サムギョプサルやホットクの街である。

 

でもここでちょっとお話ししたいのは、マクワウリのこと。

マクワウリ。名前の通り、ウリの仲間

です。うーんと、どちらかというとメロンですね、プリンスメロンとかハネジューとかの、あのー、網あみじゃないやつね。なんとなくイメージできました?

昔から父や母に、マクワウリは甘くて美味しい、夏が近づくとそれを食べるのが楽しみだったと聞かされて、どれだけ美味しいものなのかと期待をしたものですよ。……思い出補正かなぁと思いますけど。

他のメロン勢に押されて、もうあまり見かけなくなってしまったんですけどね。

そのマクワウリがね、買えるんですよ、新大久保の韓国スーパーで。なんか韓国では結構ポピュラーらしくて。

ちなみに韓国語ではマクワウリのことを「チャメ」って呼ぶらしいですよ。護得久流だね。アッチャメ。

で、今日買ってきたんですよ。チャメ。二つで700円。思いのほか小振りでしたよ。ただ香りはメロンっぽいです。……メロンっぽいといえば聞こえはいいですけどね。なんとなくわかりますよね、悪い意味でのメロンっぽい香り。そういうことです。

 

今度味の報告をしましょうね、

 

 

 

新大久保

 

手紙

前略

 もう随分とお姿を見かけておりませんが、大事なくされてましょうか。

 思えば、新宿で働き始めた、というお話をちらと伺ってから随分と日が経ったように思えます。日が燦燦と降り注ぐ日中であっても、どこかに影を抱えているようなあの街はどこかあなたに似ていて、きっとあの街に同化してしまいもう見つけることも叶わないのでしょう。

 私はあなたが文章を書く姿勢に感銘を受けて、色々なものを書き記すようになりました。もちろんあなたの書く、自らの身を削るような、それでいて繊細で儚いものには到底及ぶことはないのですが。

 そして今この企画を始めてみて、毎日何かを書く、ということの難しさというか辛さが身に染みています。一年間通して何かを書くということが如何に大変であったか、ひょっとしたらそのようなことは微塵も思っていなかったのかもしれませんが。

 またいつか、そう、気が向いたときにでも、ものを書く人として顕現され、願わくは新たな世界を提示いただければ幸いです。いつまでも、お待ちしております。

 

 あなたの健康と、ますますの発展をお祈りしております。

 

ふっとさん 拝

 

 

 

新宿