野狐

「……しかしよ、駿河屋は災難だったなぁ」
「ああ、押し込みに入られて店にいた者皆殺しって。あれですね」
「ひどいことするもんだねぇ」
 小さな街道の、峠の入り口にある木賃宿で、二人の旅人がそんな世間話を始めた。

 

 武州の山奥から甲州を抜けて海に至る街道の、この小さな峠の入り口は大雨に煙っていた。その煙る先、雨露を凌げる程度の粗末な木賃宿が立っていた。
 元より宿にいた客は三人。年の頃なら三十路を越えたかの女が先刻より板の間の隅に陣取り、掻巻に包まってじっとしている。その目はあらぬ方を見つめているようであり、時折ブツブツと呟いては、顔を伏せ、またあらぬところを見つめている。
 そして商人らしき二人連れが、囲炉裏の傍に座り、火の番をしている。囲炉裏では火がかっかと燃え。五徳の上では鍋がフツフツと煮えている。宿の主人が塩漬けにしておいた茸を置いて行ったので、それを使って茸汁を煮ている。疲れているのか二人ともあまり口を利かぬ。ただ手だけは黙々と動き、薪の世話や鍋の煮え具合など抜かりなく済ませている。
「おい姐さん、姐さんもどうです?」
 鍋も煮えたのだろう、奥にうずくまる女に商人が声を掛けようとしたその時、破れ戸が、がたん、と乱暴に開いた。


「こりゃあひでぇ雨だぜ、今日のうちに峠を越えちまいたかったんだがなぁ」
「全く、なんでこんな時に限って前の宿の旅籠がどっこも空いてないんでしょうかねぇ」
 旅姿に簑を羽織った二人連れが、剥ぎ取るように簑を脱ぎ、泥に汚れた足を洗うもそこそこに、ずかずかと上がり込んできた。
「おっ茸汁かい。旨そうじゃねぇか」
 一人が五徳の上の鍋を覗き込んで言った。
「そんなもんより、おう、酒は無いかね酒は」
 突然のがさつな来訪者に静寂を破られた宿で、二人の商人風情が眉をひそめていた。これでゆっくりと休める保証はなくなったのだ。
「私が寝酒に持ち歩いている焼酎でよろしければ、大した量ではありませんがお譲りしますよ」
「おう、悪いね。遠慮なく貰っとくよ。お代は、すまねぇ後にしてくれなぃ」


 焼酎で旅人二人は腹を暖めすっかりと人心地をついた。そこで話し始めたのが、件の駿河屋のことであった。

 

駿河屋さんのことはお話に聞いておりましたが、そうですか、そんなひどい有様でしたか」
 鍋の世話をしていたほうが話に応えた。
「そうなんだよ、非道ぇもんだろ? いくら盗人とはいえ、やっていいことと悪いことがあらぁな。そうは思いませんかね、旦那」
 茸汁を啜りながら、旅人の片割れが言った。口のよく回る賑やかな男だ、と二人の商人は眉を少しひそめた。

 

「……ひどい有り様だったそうですよ、お店の者は、丁稚さんまでみんな殺されて。女中もお店の一人娘もここじゃあ言えないようなひどい目に遭って、やはりみんな殺されて」
 部屋の隅の女が、誰に向けてともなく呟いた。
「そのお店の女将さんは、たまたま実家に用があってそこに泊まっていたんで難には遭わなかったそうですけどね、……辛かったでしょうね、代わりに死んでしまいたいほどに辛かったでしょうね。娘を弄ばれて殺した奴どもを殺してやりたいでしょうね」
 女は、どこか遠いところを見ていた。

 

 暫し、部屋の中を沈黙が支配した。

 

「ああ、そのお話でしたら私の耳にも入っております」
 火の世話をしていた商人が口を開いた。
「全く恐ろしいものです。……私どものつてで聞いたところでは、なんでも“野狐”とかいう盗賊だそうで」

「そう、それよ。“野狐”ってのは店の者にも気付かれず、殺さず犯さず盗みを働く本格の親方って聞いていたんだけどよぅ。あんな畜生働きなんぞするとは思えないんだよなぁ。そうだろ、新三?」
 口の達者な旅人がぽつりと口にし、暫くの間を持って新三と呼ばれた相方が、憚るように口を開いた。
「……代が代わったんですかね。それとも、」
「それとも、なんだい?」
 声を一層ひそめて言った。
「“野狐”を騙ったか、ですね」

 

「そんな度胸のある奴はいませんよ。“野狐”を騙ればハクが付くとでも思いましたのですかね」
 火の番をしていた商人が、含み笑いをしながら言い、言葉を継いだ。
「でも、威勢のよろしい御調子者であれば、そんなことを考えるやもしれませんね」
「そういえば、別の伝で聞いたのですがね。なんでもそいつらかどうか知りませんが、どこぞの盗賊の隠れ家で捕物があったそうで」
 もう一人の商人が口を開いた。
「粗方は捕まったらしいと聞いたんですが、その、“野狐”を入れて幾人かは取り逃がしたらしいですよ。中でも、その親方ともう一人、これの行方が全く分からない。親方ともう一人で二人組、ですか」
 旅人たちが、おちゃらけて囃す。
「お前さん達も、俺らも二人連れだねぇ」
「そう言えばそうですねぇ。偶然てものは面白いものですねぇ」
 商人たちは笑いもせずに応えた。

 女は未だ、遠いところを見ていた。

 

 深夜。
 囲炉裏の火は熾となり灰に埋められ、暗闇となった部屋の中で二つの人影がのそりと動き、他の二つの人影に寄り、枕元に屈み込んだ。

「……てめえら、捕方の狗か。俺らのことをどこまで知っていやがる」
「なんのことだい?」
「惚けんじゃぁねぇよ。“野狐”の通り名なんざぁ、素人にゃあ知っているもんじゃねえ。手前ら、堅気じゃねぇだろ、なあ」
「……だとしたら、どうしますね? ここで口を塞いじまいますか?」
「事によっちゃあな。最初の質問に答えろ。“何処まで知っていやがる”」

 先程、鍋の世話をしていた商人が低い声で言い、口の達者であった旅人がそれに応えた。

 

「お前さん方が言ったところまでは、まあ裏は取りました」
「手前らやはり狗か!」
「まあ落ち着きなせぇよ、“七塚の喜三郎”どん。血生臭い噂はよく耳に入ってくるよ。外道働きの糞野郎、ってね。駿河屋の件も手前らの仕事だってのはすぐ分かったし、娘さんに惨いことしたのは、それ、そこにいる狸吉って奴と喜三郎、手前ぇだってところまでは、調べがつきましたんで、ね」

 もしこの部屋を月明かりが照らしているのであれば、“七塚の喜三郎”と呼ばれた商人の顔が、怒りでみるみる赤黒くなっていくのが見られたはずだ。

 

 旅人は続けた。
「ご安心なさい、あんたたちを捕方に差し出すようなことはしませんよ。あたしらだって同じ穴の狢だ、売るような真似はしません」
 喜三郎はどこかで生への安全な期待を抱いた。目の前にある、この男を始末する必要が無くなった、と感じた。
「そうかい、そりゃいいや。どうだい、お前さんたちがよけりゃあ一緒にやらねぇかい、ほとぼりが覚めた頃によう、もう一仕事だ。考えてみねぇか」
「……ただね」

 旅人は話を無視するように続けた。
「“野狐”を騙ったのは不味かった。不味いよ、喜三郎どん。あそこのお店はな、何年も前から狙ってたんだわ、“野狐”が。手前らのお陰で大事な引き込みが一人いなくなっちまったよ」
 喜三郎の胸元を、背筋を、冷たいものが走り、額からは脂のようにねっとりとした汗が吹き出した。
「悪ぃな、一緒にゃ出来ねぇや。いややる気なんざこれっぽっちも無ぇな。
“野狐”の名前、軽く見てもらっちゃぁ困るねぇ、喜三郎どん」
「手前ぇ、それじゃ手前ぇが“野狐”か!」
 そう叫ぶと喜三郎は懐から反射的に匕首を抜いた。抜いたと同時に、喜三郎は脇腹に、ずくん、とした衝撃と、直後にはらわたをかき混ぜられるのを感じた。その衝撃の方を見やれば、部屋の隅であらぬところを見ていた女が鬼のような形相で、匕首を腰溜めにして喜三郎の脇腹に深々と突き刺したまま見上げていた。
「こ、この女ぁ!」
「おぅ、教えた通り出来たじゃねぇか。……新三!」
 もう一人の旅人の方へ声を掛けるより早く、二人分の人影が崩れ、くぐもった悲鳴が一度だけ聞こえた。ゆらりと立ち上がる手元には、分不相応に手入れのされた旅刀が、暗闇の中、僅かに光を湛えていた。相変わらず我慢の利かねぇ奴だなぁ、と“野狐”は呆れた。

 

 女は、駿河屋の女将であった。
 旦那を殺され、娘を犯された上に無惨に殺され、この後生きていく気力を失い、荒川に身を投げようかとしたところを、“野狐”に助けられた。
 “野狐”は“野狐”で、何故助けようと思ったのか本人にも分かりはしない。気まぐれ、としか言い様がない。
 敵を取りたいなら手伝ってやる、但しタダじゃあない、これこれを貰っていく、と“野狐”。よござんす、そんなものでよろしければお安うございます、と女将。
 “野狐”は、二つのことだけを女将に教えた。匕首は腰溜めにして身体ごと当たりに行く、刺さったら必ず、抉ること。
 

 女将は、“野狐”の言いつけを忠実に実行した。喜三郎の脇腹に突き立てた匕首を捻り、引き抜いた。喜三郎は呻き声をあげ、片膝をつくその隙に再度腰溜めに構え、身体ごと当たった。切っ先は喜三郎のどこぞの骨に当たり、匕首を捻る際にその骨をこじる様な形となった。喜三郎の口からは、獣の咆哮の如き声と、暗闇なので分からぬが恐らくは、喉の奥から昇り来る赤黒く泡立った血反吐が吹き出し、膝から崩れるように板の間に倒れ込んだ。

 
 女は喜三郎だった肉塊に跨がり、匕首を幾度も幾度も突き立て、抉った。最初のうちこそ、断末魔であろうか喜三郎の身体が、びくん、と跳ねもしたが、今や動く気配すらもなかった。
 女は匕首を突き立て続け、ざくり、ざくりとその音が板の間に響いた。仇を取った達成感ではない、高揚感または快楽が女の全身を支配していた。顔に張り付いた返り血も既に凝固し黒ずみ、あらぬところを見据える目線と共に、妖しげな美しさを彩っていた。

「……満足したかい?」
 “野狐”が女に声を掛けた。女はただ妖艶な、それでいて人を惑わせるような笑みを浮かべるだけであった。
「悪いな、顔見られちまってるからよう」
 “野狐”は懐に呑んだ短刀の鞘を払い、ひょう、と女の首筋へと走らせた。脈打つ鮮血が,゙野狐“の顔に掛かり、その温もりに、女の生命が流れ出ていくことを感じさせた。
 女は、恍惚の表情を浮かべたまま、黒と赤の血溜まりにその身を横たえた。

 “野狐“はその様を見つめ、ただ、おっかねえなぁ、とだけ呟き、新三と共に、雨が止む気配のない表へ出ていった。

 

私を形作る音楽、そのアルバム10選 ラスト

 ようやく10枚目までこぎつけました。

 最後の2枚は邦楽で締めます。

 10枚目については……、賛否ありそうですが、敢えて。

 

 

9

夢供養 / さだまさし
初期さだまさしの大傑作。とにかく聴いてほしい1枚。

 

 「ゆめくよう」です、「むきょうよう」ではないのでお気をつけください。
 この当時の彼の曲に対する評価である、暗さが全体を通して覆っています。
 しかしながらこの暗さで毛嫌いをしては、このアルバムの本質、素晴らしさに気付けないのです。
 唐八景という童歌、ですかね、で幕を開けるこのアルバムはとにかく、使われる言葉が美しい。その美しい言葉で綴られるドラマティックな物語。仰々しい、とも言えますが。「療養所(サナトリウム)」での認知症の進みはじめているであろう、誰も見舞いに来ない孤独な老婆や「空蝉」での、駅の待合室できっと都会から迎えに来るはずの息子(でもきっと彼は来ない)を待つ老夫などの、孤独な老人たちに向けられる視点の曲などには、Simon&Garfunkel のアルバム、「Bookends」を意識されたところもあるのかな、と愚考致します。
 ただ暗いだけでなく、「パンプキン・パイとシナモンティー」のような独自のメルヘンチックな舞台で展開される物語や、「木根川橋」のような、こち亀的ノスタルジィ(発表の時期的にはこっちのほうが先だと思います)に溢れた暖かい曲もあるのですよ。
 そしてこのアルバムの白眉、「まほろば」。奈良は馬酔木の森を舞台とした男女の心のすれ違いをしたためた歌。万葉集からの引用、「黒髪に霜の降るまで」待つ、なんていう言葉をはじめとして、言葉の選び方がいちいち美しい。ぜひ聴いてほしい一曲です。

 日本語使いとしてのさだまさし、その凄みとある種の恐ろしさを感じてほしい1枚です。

 

 

10

十七才の地図 / 尾崎豊
敢えて、敢えて最後に選びましょう。

 

 尾崎豊を評する言葉は、今であればぴったりな言葉があるでしょう。
厨二病をこじらせた」
 これです。ここで言うのは、世間に対する反抗という、多くの人が一度は抱えるであろうものですが。その反抗心の行き場を素直に詞にしたためただけだと思うんです。
 だから、
 分かってもらおうとかそういうことじゃない気がするんですね。そう、「15の夜」のことを言っています。
 そしてそれよりも。彼の世の中に対する観察眼こそが素晴らしいと思うのですね。アルバムタイトルの「十七才の地図」なんか、最高だと思います。あれをそれこそ十七才で書いた才能はもうちょっと認められていいんじゃないでしょうか。
あまりに叩かれてちょっと悲しいので。3枚目のアルバムはいいですよー。

 

 

以上、10枚のアルバムを4階に分けてご紹介しました。少しだけでも気になるものがあって、実際に聴いていただける機会があるといいなぁ、などと思っています。

 

それでは、良い音楽を。

 

 

 

私を形作る音楽、そのアルバム10選 その3

 ようやく7, 8枚目でございます。

 周りを置いてけぼりにするような、エスニックなお話でございます。

 

7

Mad Chinaman / Dick Lee
欧米だけが音楽の発信地ではない、と気付かされた日

 

 洋楽を聴く。それはきっとアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ。ひょっとしたらイタリアやスペインかもしれない。いずれにせよそのほとんどは「西洋の音楽」を指しているだろう。
 或る日の深夜番組だったと思う。ただFMだったかTVだったかは忘れた。その番組で、シンガポールの曲として、Dick Lee の「Mad Chinaman」が紹介された。これが、とても素敵な曲だった。少なくともその当時の私にはそう捉えられた。
 私が最初に言ったような「洋楽」が好き、っていう人は多いと思う。でも多くの人が、どこか心の奥底で思っているでしょう、その「洋楽」には「アジアは含まれない」。
 Dick Lee は、その概念を根底からかき回してくれた。まるで炊き上がったコメを底のほうからかき混ぜる、必然の儀式のように。
 そして彼はもう一つ、アジア人のアイデンティティとして、「Banana」という概念を教えてくれた。
 バナナの中身は白い。でもその皮は黄色い。
 白人に肩を並べようとする黄色人種に対する侮蔑的な比喩でもあるけれど、彼はそれを逆に捉えた。

“バナナも皮剥きゃ白いんだよ、白人と変わらない、だから僕は「Banana」だ”、と。

 そんなわけで、私はいろいろとこの曲と、この人の言動に影響を受けた。

 

"アジアの音楽はダサい? ちゃんと探したの? 聴きもしないで言ってるだけじゃないの?"

 

 そういう考えができるようになった。なってからはまあ、探した探した。シンガポール、台湾、香港、そしてのちにタイの音楽に行きつくのだけれども。それは次でちょっとお話しする。

 Dick Lee の「Mad Chinaman」、iStoreでも買えるので興味のある方はぜひどうぞ。
 リンクはライブ版ね。
https://youtu.be/gopHwd5lI1Y

 

 

 

8
China More / China Dolls
汎亜州的アイドル。知らぬは日本人ばかりなり。

 

 ユニット名は「China Dolls(中國娃娃)」だけれども、メンバーは中国系タイ人二人組。
 アジアの音楽探し、って言ったって、とりあえずその当時はネットラジオのストリーミングを言葉も分からず聴くくらいしかできなかったので、若干悶々としていた、と思いきや。
 二十世紀末から、ちょっとばかり別件でタイを含む東南アジアに嵌って年一くらいで出かけるるようになっていたのだな。まあ陸路での国境越えに一種の喜びを感じていたわけなのだけれど(さあ、スタンプラリーだ!)、いたるところでこの二人組の曲がかかっていた。
 カンボジアとの国境を越えても、ベトナムに入って行っても、この二人組の曲がかかっていて、現地の人もみんな知っているわけで。そこはそれ、違法コピーなんだけど。
日本に戻って、中華街の雑貨屋さんのCDコーナーなんかを漁っても、この二人の曲が出てくるのよ、それもちゃんと中国語版にして。だからこっちは違法コピーではないのね。

 このアルバムの前に、「Muay Nee Kah」という曲があって。それの歌詞が刺激的だった。

 

"あたしたち目が細い、中国系のタイ人だけどそれがどうしたの?"

 

と挑発的な言葉を明るく、可愛く歌うのだ。

 その勢いを受けて、コメディアンとのユニット、China Guan名義でアルバムを出し(これもご機嫌な曲揃い)、2000年にこの「China More」が発表される。

 その中でも「Oh, Oh, Oh」と「H.N.Y.」が、まあよく売れた。さっき言った通り、東南アジア中で聴くことができた。あらゆる国で、あらゆる言葉でカバーされた。
 だけど、日本には入ってこなかった。きっと「東南アジアの音楽だから」。この色眼鏡が外れるのは、「あにゃまる探偵 キルミンずぅ」の主題歌、NekoJumpの「Poo」まで待たなければならなかった。


 余談だが、タイポップスにとって、2000年は間違いなく豊穣の年だった。
 China Dollsもそうだが、LOSOが「Rock'n Roll」でどこに出ても遜色のないハードロックを、そして当時人気の女性シンガー7人を集めたスーパーグループ「Seven」の洗練された上質のポップスを世に出している。本当にいい時代だった。


 China Dollsのは、そうねぇ、「Oh, Oh, Oh」で行きましょうか。
 https://youtu.be/FzYBR8NtMrE

 

 

 それではあと2枚

 何が出るやらお楽しみに :-)

無題

その一

 

朝の光よ 気は重く

何れ 俄雨の 降る

傘はきっと 邪魔となる

 


 

その二

 

五百三十一段の

階の上の御社の

裏で貴方を 待っている

いつまでも いつまでも

 

 


 

 

アルバム紹介の巻はもうちょっと待っててね

私を形作る音楽、そのアルバム10選 その2

アルバム紹介その2、なんですが。

そこそこ気合い入れて書いたら2曲分だけになりました。許して。

 

それでは。

 


5
Operation: Mindcrime / Queensrÿche
ようこそ、コンセプトアルバムの世界へ!

 私がヘヴィメタル/ハードロックに傾倒を始めたことは先に述べた。そして1986年頃にはあらゆる『メタル』と呼ばれる音楽が溢れていた。
 特にLAを中心とした、比較的華やかな格好、カーリーなロングヘアーで天辺は短めという髪型に材質はなんであれスキニーなタイツ、という人たち、ヘアーメタルと後に呼ばれる人たちが溢れ返っていた。
 NWOBHM※は影を潜め、その一部はスラッシュ・メタルとなって世に湧き出しつつあった。ドイツ・北欧から様式美に溢れたジャーマンメタルと呼ばれる勢力もやって来た。

 そして音楽を記録するメディアとして、CDとLP盤のシェアが拮抗、そして逆転をしようとしていた頃だ。
 アルバム自体は未だ、LP盤における、A面B面を念頭に置いた、それぞれ20分20分、大体40分ちょっとの曲の配置を意識しているものがほとんどであった。しかしながらCDには74分の録音が可能だ(カラヤンが、第九が云々はここでは置いておく)。

 これに対して、40分という枠を取っ払い、60分を越える曲を入れてたっていいんじゃね? というバンドが現れ始めた。Def Lepperdの「Hysteria」がはじめであったと記憶している。


 枷は外れた。そこにはおよそ30分の、未踏の広野が待っていた。
 Def Leppardが曲を詰め込んだその隙間を使って、Queensrÿcheは曲と同時に「物語」を放り込んできた。さらには、「A/B面とか、あんまり意識しなくていいんじゃね?」となってきた。その流れに先鞭をつけた。
 カルト、と呼ぶには勢力の増した教団の指導者ドクター.Xと、その下で非合法活動に手を染める主人公のジャンキー、ドクターXに仕えるシスターメアリーの織り成す物語。活動の中(要は暗殺なのだが)、次第にメアリーに心を寄せるようになっていく主人公。しかしドクターXが指示した次の仕事は、「シスター・メアリー」を始末することだった……。
 という話が、60分強の時間を使って語られていく。バンドのボーカル、ジェフ・テイトの声がハイトーンから低音までを行き来し、物語を紡いでいく。この時代のヘヴィメタルアルバムとしては、かなりの完成度であるといっていい。

 

 正直、このアルバムより前にも、コンセプトアルバムは山ほどあった。The WHOの「Tommy」、「四重人格」。Styxの「パラダイス・シアター」、Pink Floydの「The Wall」、エトセトラエトセトラえとせとらレコード。所謂プログレには山ほど溢れている。
 だが敢えて。
「CDというメディアの使い方」を転換させたハシリとして、このアルバムを称えたい。実はまだちょっとLPカットを意識しているんだけれどもね。

 

NWOBHM
 当時の流行であったパンクの過激な衝動に対して、既に古臭い、と烙印を押された、しかしながら演奏の技巧は非常に高いハードロック勢が、パンクのその文法を取り込みながら、新たなヘヴィメタル/ハードロック、ニューウェイヴ・オブ・ブリティッシュヘヴィメタル(NWOBHM )というムーヴメントが起きたのです。

 


6
Larks' Tongues in Aspic / King Crimson
それは、知ってはいけない世界だったのかもしれない。

 LPレコードに針を下ろす、でもCDプレイヤーの再生ボタンを押す、でもなんでもいい。
 静かに、静かに。パーカッションの音が響き始める。無秩序にしか聞こえない。そうあらゆる種類の風鈴が一斉に鳴っているような無秩序さ。その無秩序をシンバルの均一な音が覆い隠し、バイオリンとベース、そしてギターの規律が支配していく。激しく、火花を散らしながら回り続ける歯車のように。
 そしてこのアルバムは幕を開ける。

 どう聞いても好き勝手に演奏している。そう、好き勝手に演奏しているのだ、高度な秩序と卓越した技術を以て!

 初めて聞いたとき、この時点で私の魂はほぼ抜けた。何が起きているのだ、このアルバムは、と。そもそも『雲雀の舌のゼリー寄せ』ってなんだ。

 そしてアルバムの後半。
 静かに、確実に押し寄せるリズムの嵐。リズムの暴風に合わせ押し寄せるインプロヴィゼーション
 リズム、インプロヴィゼーションインプロヴィゼーション、リズム。
 またか、また「コレ」が来るのか。
 それぞれが重なり合い、絶頂を迎え悲鳴を上げる。
 そして、灼熱の秩序が耳を支配する。変拍子の秩序、構成の秩序。計算された無秩序。
 しかし、総体として美しいとさえ感じる。そうだ、すでに頭は混乱している、いやむしろ洗脳されているのかもしれない。
 曲がクライマックスを迎え、糸を引くような余韻が去って行くと、はたと気が付くのだ。
 私の頭は混乱していないし、ましてや洗脳もされていない。

『これは素晴らしい音楽なのだ』!

 そう、多くの人はこうしてプログレッシブ・ロックの沼に嵌っていくのであろう。
 だがこのアルバムは静かに嵌っていく沼ではない。底なし沼のど真ん中、岸まで数百メートルはあろうかというところにっ突き落とされる。その感覚を味わえる。
 もう、抜けられないぞ。

 

 今回は2枚紹介しました。

 ここまで見渡して、……普通ですねぇ。

 次回あたりから、ちょっと変なのが出始めるかもしれませんのでお楽しみを。

 うふふふふ。

私を形作る音楽、そのアルバム10選 その1


 フォーク、ロック、ジャズ、はあまり聴かないか、果てはタイのポップスまで。
 私の耳から鼓膜や蝸牛管を経て大脳まで、音楽に漬かっている、というのは絶対に大袈裟ですが、まあそんな気概でいたいなとは思っています。

 そこで、皆さんには大変にお節介な話ですが、今まで聴いてきた中で、私にとってのコーナーストーン、そして転機になったアルバムなどを10枚ほど紹介させていただきたいと思う次第です。

 長えよ! という声が何となく聞こえてきますが、自分でもそう思っています。
 本当に長くなってしまったので、運が良ければ2回くらいに分けていこうと思います。今回はその第1回目です。

 よかったら、お付き合いください。


1.
Wednesday Morning, 3 A.M. / Simon & Garfunkel
 私が本格的に洋楽、というか英語で歌った曲に触れた最初のアルバム。
 実際に好きになったのは「Scarborough Fair」だったのだけれど、アルバムは「Sound Of Silence」が入っているもので、且つアコースティックバージョン(ていうかこれがそもそものアレンジなんだけど)のあるアルバムにした。
 これを聴いてハーモニーっていいな、と思った。だけどコーラスには進まなかったな。きっとどんなにハーモニーが美しくても、好きでもない歌を歌わされるのが嫌だったんだと思う。
 しかしこの頃から私は、Simon & Garfunkelを除いて、洋楽よりもクラシック音楽、とりわけ交響楽に嵌っていくのだ。ある意味、のちの好みへの伏線、と言えなくもない。


2.
Escape / Journey
 所謂"ロック"に初めて触れたアルバム。
 中2の後半に、ちょっとした反抗期を迎えた。もともと「Fighting 80's」というライヴ番組に影響を受けていて、今でいうインディーズに近いようなバンドなんかを好んで聴くようになっていた。なので今でもThe MODSのファンであったりする。
 もちろんLP盤などちょくちょく買えるわけがなく、もっぱらレンタルレコード屋に通っては良さそうなところを借りて、カセットテープに録音するのだ(今ではやっちゃだめだよ!)。
 その中で、やはりここは洋楽でも何か違うものを選ぼうじゃないか、ということで、その時の人気筋を2枚借りてきた。
 1枚は、TOTOの「TOTO IV」、そしてもう1枚が、Journeyの「Escape」だ。今考えれば、がちがちの産業ロックだ、何所がインディーズ系だ、っていうものだが、それは35年前の私に言ってくれ。なけなしの小遣いで借りるんだ、失敗はできない。
 「TOTO IV」のほうは、やっていることが大人過ぎて正直中2の私には退屈であった。中学生にAORを理解しろ、ってのがそもそも無理な話だ。
 翻ってJourneyのほうは、バカでかい音のギター、そのくせ美しいメロディ、とりわけ、Art Garfunkelとは全く違った、パワーに満ちたSteve Perryのハイトーンボーカルにやられたのだった。この時点でクソガキは、洋楽のロック、すげぇ! となってしまったのだ。
 比喩ではなく、いや若干は盛っているが、「Escape」を録音したテープを、擦り切れるほど聴いた。


3.
Made In Japan / Deep Purple
 ハードロックとの遭遇。"Highway Star"がファーストコンタクトなので本来は「Machene Head」だけど、アルバムとして買ったのはこっちだった。
 高校に入って、何か自分を変えようと努力をした形跡がある。その一環として、フォークソング部なるものに入った。
 "ギター弾けると、モテるんじゃね?" という、凡百の日陰キャラが思いつきそうな理由だ、92パーセントくらいは。
 ただ問題は、いや全く問題ではないか、そこに集まった野郎どもはみんなヘヴィメタル好きだったってことだ。まずはバンドが組まれた。流されるように私もそのバンドにいて、歌わされた。Journeyに嵌ったお陰か、Journeyの曲の1音したくらいまでなら何とかなったからだ。後はファルセットで誤魔化せた。
 皆知っていると思うが、ハードロック/ヘヴィメタルを始めようとするバンドは、ギタリストの意向でほぼ間違いなくDeep Purpleに行く。うちのバンドもご他聞に漏れず、持ちネタが「Highway Star」になった。
 さて「Highway Star」とはどんな曲じゃい、と聴いてみたら、まあJourneyと比べてなんと荒々しいこと! ギターだけじゃなく他の音までデカい。時折、"ゴキャーーン!"などと不思議な音が入る(リバーブを蹴っ飛ばしている音だと後に知った)。ボーカルなんぞスティーヴ・ペリーの美しいハイトーンから比べりゃ金切り声だ。
 だが何か、未だに続く反抗心のようなものに火が付いたのは確かだ。そして私は、ハードロック/ヘヴィメタルに傾倒を始めるのだ。
 それでも並行してマイケル・ジャクソンやプリンスも聴いてたけどね。


4.
Rio / Duran Duran
 MTVの洗礼。パステルカラーとエキゾチックな風景が美しかった。
 上記の通り、ハードロック/ヘヴィメタルに、私は傾倒をしていった。そして同時期、だったと思う、音楽業界というものに一大革命が起きていた。

 

「MTV」の登場である。

 

 音楽に映像が付いた。言ってしまえばただそれだけなのかもしれない。ただそれだけで、音楽はよりキャッチーになり、魅力を増した。
 ミュージシャンが演奏をする姿を見ることができた。曲に合わせたイメージが一緒に届けられた。美男美女が歌う姿を見ることができた。今となっては当然のことだが、これは相当に画期的なことだったのだ。私たちが見ることができたのは、せいぜい音楽番組でのスタジオライヴくらいなものだったのだから。
 それと同時に台頭してきた音楽のジャンルがあった。

ニューロマンティック」と言う。

 見目麗しき美男美女がどこかアンニュイでメロウだったり、とてもキャッチーなロックを演奏する。そしてそれらのイメージをMTVから発信する。ある意味、MTVと完全に親和したジャンルであった。
 正直演奏は、取り立てて上手くはないものが多かった。本物の音楽好き(って、誰?)ならば、ものすごい批判の対象としているところだろう。だが、良いのだ。美しい映像はそれらの難を隠す。むしろ映像と併せてこの曲は完成するのでは、とすら思うのだ。
 中でも、Duran Duranの「Rio」からのシングルカットされた数々の曲は、そのパステル調の色合い、インドネシア、タイなどでロケをしたエキゾチックな映像で、私の心を鷲掴みにした。そしてハードロック/ヘヴィメタルにただひたすら傾倒しようとする私を、細い糸で、音楽を俯瞰できる位置に繋いでくれていたのかもしれない。


続きはまた今度(本当に書くんだろうな)。