小さな祠

 僕の家から小学校へ向かう途中、みつかばあさん家の曲がり角を左に曲がったすぐ先に、古ぼけた小さな祠があった。こんもりとした雑木林に囲われたそれは、例えば通学の朝であっても、日のカンカンと照り付ける真夏でさえも、そこだけは暗く近寄り難いものだった。気分的なものだが、僕らはその祠の入り口をできるだけ避けて、遠回りをして学校へ向かったものだった。


 いつだったか、寄り合いの流れで父さんと青年会の人たちがうちへ来たときに祠について話しているのを聴いたことがある。母さんには、早く寝なさい、と言われていたのだけれども、なかなか眠れなかったし、それに皆お酒が入って声が大きくなっているので、どうしても耳に入ってきてしまったのだ。
 昔、あの祠の前で男の人と女の人が死んでいたこと。その二人はこの地区の人ではなかったこと。心中だったのではないかということ。そんなことを話していたように思う。そんなことを学校で友達に話したものだから、その祠は僕たちにとって、迂闊に触れてはいけない場所になった。同じクラスの、普段気の強い遥香には、バカじゃないの、と格別に軽蔑の眼を向けられた。それと同時に僕は親から大きなカミナリを落とされた。
 話には当然のことながら尾ひれがついた。死んだ男女は東京から来たことになった。お互いの親に結婚を認めてもらえなくて心中したことになった。レモンに毒を仕込んで、お互いにかじって亡くなったことになった。この世で一緒になれなかったから、カップルを見ると嫉妬をして祟る、ということになった。
 迂闊に触れてはいけない場所。小学生だった僕らにとって、今となってはそれほど大きな意味を持つものではなかった。そう、夏休みに肝試しを行って、勇気、もしくは蛮勇を証明するくらいのものだ。いま考えてみれば皆冷静なものだ。ひとが死んでいた、なんてどこか現実的ではないことだと思っていたんだろう。きっと僕もそうだ。


 肝試しのルールは、男女一組で祠へ行くこと、祠にレモンを供えること。ただそれだけだ。組み分けの抽選は、きっと厳正に行われた。男子それぞれが気になる女の子とペアになったのは単なる偶然だ、そのはずなのだが。僕はよりによって遥香とペアになっていた。
 生ぬるい風に乗って聞こえてくる女の子のかすかな悲鳴、中にはこの世のものともつかない男子の叫び声も混じっていたが、それらが耳に入るたびに呼応して小さな悲鳴を上げ、もうやめようと懇願する女の子たちの前で僕ら男子は強がってみせなければならなかった。たとえ膝ががくがくになっていたにしても、だ。ただ遥香だけは、他の子たちを励ましたり、いつもと変わらずに振舞っていた。
 僕と遥香の番になった。遥香はすたすたと、僕の手を引いて速足で祠へと向かっていく。僕の面目は?
 みつかばあさん家の曲がり角を左に曲がると、他の子たちから僕らの姿は見えなくなる。遥香の足がそこで止まって、祟られるのは嫌だな、とポツリと漏らした。僕は彼女の手を強く握り、祠を目指して先に立って歩きだした。祠の前まで来て、お供えをするはずのレモンをひとつかじって、祟りなんてないよと言って、僕の腕にしがみ付いている遥香に差し出した。そうだ、僕は、この祠にまつわる話のほとんどが、本当かどうか怪しいことを知っているんだ。
 
 みんなの所に戻る時には、遥香はいつもの遥香に戻って、別に怖くなんかなかったよ、とうそぶいていた。その膝が小さく震えていたことは、彼女の名誉のために黙っておくことにしよう。
 僕は悪友たちに哀れみの目をもって迎えられた。あの男勝りの遥香と! 大変だったなぁ。僕は皆の手前、話を合わせておくことにした。

 

 祠には、参加した組の分だけレモンが供えられていた。
 でもその中に一つだけ、かじり跡が二つ付いたレモンがあるはずだ。

 

 その後、気の強い遥香は、なんでもないようなことにまでやたらと僕に突っかかるようになった。僕はそれを受け止めるだけの心の余裕? が出来た気がする。それに彼女に突っかかって来られるのもそんなに悪くない。そして僕と遥香の二人は、あの祠を避けることなく二人で帰るようになった。もちろん必ず祠の前で頭を下げていくのは忘れない。

 

 

 

お題:

曲がり角
証明する
レモン