あのメロディ

※このお話は、RKBラジオ

東山彰良 イッツ・オンリー・ロックンロール│RKBラジオ

に投稿した作品に加筆をしたものです。

 


 

「店長、オ客サン、アンマリ来マセンネ」
 アルバイトで留学生のカマル君が言う。
「あと三日で閉めちゃうからね、このコンビニ」
 私は投げやりに答える。
 二人はレジに、ぼーっと立っている。
 そこそこ品物があるのは、パンやおにぎり、乳製品など。いわゆる日配、ってやつだ。あとはタバコが少し。他の棚はすべて空っぽだ。

 

「店長、ナンデ僕残シタ? モウ二人モイラナイデショ」
 私はやはり、どこか投げやりに答える。
「本部から、最後まで二人でやれってさ」
 カマル君はそれでも、いつものようにニコニコとしている。

 

「ねえカマル君、聞いてくれる? あの、お客さんが来てドアが開くときにメロディが流れるでしょ。僕、あのメロディが大嫌いなんだ。なんか生理的に受け付けない」
「店長ハ、オ客サン来ルノ嬉シクナイデスカ?」
「いや、ただ単にあのメロディが嫌いなだけ」
 嘘だ。あの曲を聴くと、ろくでもない客の記憶しか甦らないから嫌なんだ。要領を得ないクレーマー、はなから人を見下した態度の若造、中年、年寄。そんな客ばかり思い浮かぶ。それが嫌で嫌で仕方がないのだ。

 

 と、そのメロディが鳴る。ああ憂鬱だ。

「ンだょ、何もねえじゃん。シケてんなぁ」
 イキった若僧が入ってくる。一番面倒くさいパターンだ。
「おう、セッタくれる?」
 若僧が言う。
 言いたいことを言ってやろうと、少し悪戯心が芽生える。どうせあと三日だ。
「セッタですか?あいにく当店では草履、雪駄など履物の取り扱いがありません。ご了承ください」
「ぁあ?! 何寝ぼけたこと言ってんだよ。セッタだよ、セ・ッ・タ。知らねぇのかよ。タバコだよ」
「セッタ……、セッタ……。ああ、”ブンタ”ですか! セブンスターのこと、セッタなんて呼ぶ人も居るんですねぇ」
 若僧は顔を真っ赤にしてがなり立てる。
「てめぇ、舐めてんじゃねぇぞ。客に向かってその態度は何だよ!”お客様は神様”てぇの、知らねぇのかよ!」
 残念ながらうちは真言宗で、と言おうとした矢先、カマル君が私の前に割って入る。ちらりと見えた表情からは、いつもの笑顔は消えている。
「”神様”ヲミダリニ、クチニ出シテハイケナイ。ソレニ神様ハ唯一人、アナタ神様ジャナイ、帰リナサイ」
ただならぬ剣幕に、若僧は悪態を残して出ていく。

 

「言ッテヤリマシタ。イツモ思ッテタ」
 カマル君はぺろりと舌を出し、悪戯っぽく笑う。
 閉店三日前。今日のこの時の、あのメロディはそんなに悪くない。

出なかった同窓会、その後の話

 以前書いたが、私は同窓会に出なかった。顔を見たくもない奴らがいるからだ。そのことは後悔していない。

 なぜ私が同窓会に出たくないのか - hyakuganとふっとさんのカストリ読物

 

 後悔していないはずだった。

 

 後日街中で、同級生に会った。そのときに言われた。
「Tがさ、お前に会いたがってたぞ」
 Tは、私の唯一といってもいい、親友と呼べる男だ。同じ趣味を、同じ夢を共有していた唯一の友だ。
 Tは夢へ向かって一直線に進んだ。
 私はその夢を諦めた。諦めてまたその道へやむを得ず舞い戻った。夢を追ってではない、飯を食うためだ。
 その友が会いたがっていた。私は友に不義理を働いたのだろうか。私のつまらないプライドなんて、何の意味があっただろうか。ひとり、煩悶をした。
 
 私の選択は間違っていなかった。
 そう信じなければ、遣る瀬がない。
 
 T、すまない。機会があればまた会えるさ。
 俺のつまらない意地を笑ってくれないか。

 

 

トンカツ特区

 数年前に、安全無菌な豚肉というのが出回り始めた。
 その豚肉を使った、中がまだピンク色をしたミディアムトンカツが爆発的に流行った。
 そして我が国の流行は、より極端になっていくのが常である。火の通り加減がよりレアなものになっていった。
 次に始まるのは、価格競争だ。いかに安く提供をできるかコストカットが始まった。
 どこかがより安い豚肉を求めて、「普通の豚肉」を使い始めた。本末転倒、最も手を付けてはいけないところだ。

 あとはお分かりだろう、普通の豚肉をレアで出したら何が待っているのか、は。

 

 トンカツに懲りて膾を吹く。全国規模で、トンカツを提供することが全面的に禁止された。
 ただお役所にもトンカツ好きがいたのだろう、各自治体の一角でのみ、トンカツを供することが許された。
「トンカツ特区」の誕生である。

 

 ここで余計なことを言ったクレーマー気質の誰かがいたらしい。
「トンカツ特区」であれば、トンカツだけを出すべきだ、そんな法令が数年前に施行された。……全く余計なことを。

 

 そのため、皿の上にただ一枚だけ乗ったロースカツを見つめて呆然としている私が、今ここにいるわけだ。

 左隣の御常連であろう彼は、慣れた手つきで持参した千切りキャベツを皿の上に置いている。右隣のサラリーマンは保温ランチジャーからご飯と味噌汁を嬉しそうに並べる。

「悪いね、とりあえずソースと塩、練り辛子は付くからさ」
 言葉の割にはどこか浮かれたような、そんな店主の声が私の右耳から左耳へと抜けていった。

 

 諦めてロースカツに箸を付けようか、と思った矢先、すっと箸が伸びてきて、私の皿の上に千切りのキャベツが置かれた。
「いつも買ってるキャベツ屋、量が多いんすよ。余るより食べてもらった方がいいんで」
 左隣の常連客が照れくさそうに目も合わせず、早口で言った。今度は右隣から白飯が一口分、申し訳なさそうに置かれた。なにも言わず、そっと会釈をするサラリーマン。
 私は感謝の思いに胸が熱くなり、手を合わせた。
「いただきます」

「あ、ひとくちめは是非塩で食べてみてよ」
 店主は自慢げに言った。だが言われなくとも分かっているさ。このロースカツはきっと、涙で少し塩味だ。

 

 

 

スモモの木

 叔父の家の、裏の畑に
二本のスモモの木があった

 

その木から取れるスモモは
とても甘く、爽やかに酸っぱかった

 

そして、叔父と叔母は
とても仲良く、畑仕事に精を出していた

 

ある年、片方のスモモの木に
いつもよりたくさんの
いつもより甘い実がなった

 

その年に、叔父は体調を崩し
旅立っていった

叔母はとてもとても悲しんだ

 

翌年、いつものようにスモモの木は実を付けた

 

片方のスモモの木は
ただ酸っぱいだけの実をつけた

 

それからもずっと
ただ酸っぱいだけの実をつけた

 

 

坂道

 黄昏時。
 僕は坂をゆっくりと上っていた。
 向かいから、黒の留袖を着た老婆が下ってきた。
 すれ違いざまに互いに小さく会釈でもしたろうか。
 誰か葬式でもあるのだろうか、
 ここに来るまでそのような家はなかった。
 あの老婆は、どこへ行くのだろうか。
 
 
 
 
 
 僕はこれ以上の詮索も、振り向くこともしなかった。
 一尺と離れぬ距離で、草履の擦る音が聞こえる。
 老婆は間違いなく、僕のすぐ後ろを付いてきている。 

 

 

 くっくっ、と、押し殺した様な笑い声とともに。

 

歴史になるというのはこういうことかもしれない

 今日、東大生と高校生が競うクイズ番組を見ていたら、トキワ荘マンガミュージアムについての問題があったんです。この問題については高校生の方が回答をして、その回答についての解説を、自らしていました。実はちょっとここのところで違和感を感じてしまったんですよ。


 彼が解説した概要に誤りはありませんでした。ちょっと違和感に感じたのは、「手塚治虫という歴史上の人物」という扱いで話をしているように聞こえたことなんです。いやそれはもはや仕方のないことなんですよ。彼ら高校生が生まれる遥か以前に手塚治虫は亡くなっています。言うなれば彼らにとっては歴史の一部です、教科書の数行・年表の数行に過ぎないのかもしれないのです、興味がなければ。


 しかし僕ら、昭和四十年代、ギリギリ昭和五十年代くらいまでの人間は、手塚治虫にしろ石ノ森章太郎にしろ赤塚不二夫にしろ、みんな現役で、その当時に書いた漫画をリアルタイムで読んでいる、わずかな期間でも同じ時間を生きている実在した天才、巨匠なんですよね。そのあたりのズレが、違和感の正体なんだろうな、と思います。あるいは年代の壁というか。


 わずかな期間でも同じ時間を生きているゆえに僕らは、例えば手塚治虫という存在に血肉を感じられるんだと思います。彼が生きたおよそ60年ちょっとを、現実の長さとして受け止められる。
 でも手塚治虫が亡くなった以後に生まれた人たちにとってはそうではなくて、先も言った通り年表の数行に収まる人なのかもしれないんだなぁ、というちょっとした寂しさみたいなものを感じたりするわけです。生きてきた道のりが圧縮されてしまうような感覚というか。

 

 歴史になる、っていうのはそういうことなのかもしれません。卑弥呼だって藤原道長だって織田信長だって坂本龍馬だって、それぞれの人生を生きているはずです。ただし教科書や年表上ではその人生が圧縮された状態で記されている。布団圧縮袋に入れられてぺったんこになった状態なのかもしれません。それらが昔から大量に積み重なっていって、新しい歴史が入ってきたら一番上に重ねられる、そんなものなんじゃないかと思います。

 その圧縮された中にはきっと彼らの喜怒哀楽が詰まっているのだけれど、表からは見えないんだろうなぁ、と。

 実際には布団圧縮袋に入れてもらえるだけでも良いのでしょう。そこにすら入れない人たちのほうが遥かに多いはずで。そんな人たちでもやっぱり笑ったり泣いたり怒ったりしていたんですよきっと。

 

 ちょっととりとめもない話になりました。
 年表に載れない人生でも、精いっぱい泣いたり笑ったりしましょう。

 

スピードボートが停まったのだ

 バックパッカーでほぼ満席となった、この国境を越えるスピードボートは、終着の港を前に大河の中央で停止した。そして行き交う小船の引き波に揺られ、およそ2時間30分が経過した。
 携帯電話が鳴る。私の到着を待っている、彼女からの連絡だ。
 今どこにいる? 川のど真ん中だ。
 何時ごろ着く? 分からない、船が故障している。
 船はいつ直る? 全く分からない。
 いつ陸に上がれる? 分からない、どこにも行けないんだ!
 最後の言葉がどうやら共感を産んだらしく船内満場の歓声を呼び、その中彼女との通話は終了したところで状況は何も変わらず船が動く気配はない。
 僅かに貧乏揺すりをする。わずかに、本当にわずかだが、ぴちゃんと、水が溜まっている気配を感じる。私の考えは、ここで悪い方向に回転を始めた。
 国境を越えるスピードボートと言えば聞こえはいいが、強力な船外エンジンを付けた小型ボートにFRP製の屋根を取り付けただけの代物だ。出入口は前方一か所、窓は外が辛うじて見える程度の小さなものがいくつかあるだけだ。
 そして、バックパッカーでほぼ満席、というのは一番最初に言った。皆巨大なバックパックを持ってこの船に乗り込んでいる。載せきれない荷物はFRPの屋根の上にまで括りつけられている。
 ここまでくれば私の不安の正体が見えようというもの。
 
 今の段階で浸水してきたら、この船、どうなるんだ?
 
 人荷満載、出入り口は前方に一つ。エンジンは故障、進退窮まる。おまけに私の席は比較的後ろの方ときた。どう考えたって出口まで行ける画が浮かんでこない。かといってここでそのことを言って下ろせというわけにはいかない、それこそパニックが起きかねない。
 私がしなければならないことは誰にも気づかれず、いざとなったときには真っ先に行動できる準備をすること。誰よりも先に前方の出入り口へ!
 ぴちゃり、とした足の感覚が、先ほどより大きくなった感じがする。追い詰められた人間の心象表現かもしれない。いやそんなことはない。現実だきっと現実だ。私は少しだけ通路側に尻をずらす。溺れ死にだけは絶対に嫌だ!
 隣のドイツ人、いやフランス人かもしれない、だがそんなことは些末なことだどうでもいい、が、
「Are you alright?」
と声をかけてきた。ここで悟られてはならない、悟られればパニックになる。そうなれば私の目論見がすべて水泡に帰してしまう。作り笑顔で、大丈夫だ、いつ動くんでしょうね、と返しておく。もちろん目は一寸も笑っていない。船内中央の空き具合を確認しながら、だ。
 ぴちゃん。また少し水が溜まってきたように感じるいや溜まっている。この頃になると他の乗船客の間にも何か怪しい空気が漂い始める。ボートのキャプテンが船外でいろいろやっているのが見えるがエンジンに火が入る気配は一向になく。ああ、私の頭の中は絶望で埋まっていく。
 やがてキャプテンが近くの船に声をかけ始めた。声を掛けられた船が何やら携帯電話で話し始める。相手はこちらの船よりより小さい、手漕ぎの船じゃないか! だからと言ってどう状況が変わるというんだ!
 船内を覆う絶望に似た澱んだ空気に中てられ、そろそろ遺書代わりのメモでも認めようかとしていたところ、気が付けば周りに6,7艘の船が寄り集まっていた。これらに分乗していけというのか? という状況でもないらしい。
 
 我らの乗った船は集まった手漕ぎの船らに曳航され、目的の桟橋へと向かった次第。この数時間で私は結構心を削られた。だがまだ分からんぞ、足元の水はどうだ? ……それほど増えていない。大丈夫なのか?
 
 結局のところ私は、国際ターミナル(ただの岸壁だが)に到着して地面に足を付けるまで一切油断をしなかったのだ。いやほんと死ぬかと思った。


 その後この航路に都合6回、3往復乗船したが、エンジントラブルはそのうち4回。なかなかいい確率である。
 だが、死を覚悟するまでに至ったのはあの一回だけだ、いや、感覚が何か麻痺してしまったのかもしれない。