扉、真理

隣人が壁を何度も叩いているのは、さっきからわかっている。でも、その叩く音が状況を悪化させていることを、彼(彼女?)は理解をしていない。その叩く音が、奴らを呼び寄せる一助となっているのを全くわかっちゃいないんだ。奴らを退ければ、僕はこの世界…

Tさん、憤る

朝からTさんに呼び出された。どうしても話したいことがあるんだと。何事かと思っていつもの安ホテル、の向かいの路上カフェへ。Tさんはすでに練乳のばっちり入ったコーヒーを前にして、難しい顔で腕組みをしていた。 どうしたんですか、と尋ねると、今朝、…

Shoe-shine Boy

今日のは、レッドブラウンのウィングチップ。まずは靴紐を一回抜いて、それからシューキーパーを入れて形を整えておく。 ブラシで汚れ落とし。コバの部分を特に念入りに。革本体は後で手入れするからね 固く絞ったウェスで水拭き。このひと手間が大事だと思…

タイトルは無い

「ドイツから養子を迎えた夫婦がな、その迎えた養子に虐待で訴えられたらしい」「なんで」「なんでも食べ物のことでな、こんなものを食べさせるなんてひどすぎる、とかなんとか」「コロッケの代わりにたわしでも出したか」「どこの昼ドラだそれは。そうじゃ…

今宵の、或いは最後の肴

「……明後日付で、第六十二歩兵連隊に召集をされました。明後日早朝の汽車でここを離れます」 少しお酒を召してから、あの人は私の目をじっと見据えてそう言いました。「あなたとこうして会うことも、しばらくはできなくなりますね」「……明日また、いらしてく…

光に包まれて

ホットミルクにチョコレートを溶かしてゆっくり、ゆっくり、時間をかけて体を温かくしていく 今日はなぜか、昔のことを思い出した それは小さい子供の頃同じようにホットミルクをゆっくりと飲んでパパとママにおやすみのキスをしてお気に入りのぬいぐるみを…

神の子孫

「我々第二次調査隊がこの惑星に降り立ってから我々の基準時間でおよそ3週間経過してる。ここまでの状況から言うと、正直なところ調査自体は全くと言っていいほど進展をしていない。 その理由はただ一つ。我々はこの惑星原生の生命体から歓待を受けている。…

遭遇

「先輩、本当に来ますかね」 僕は不安そうに尋ねる。正直、こんな辺鄙な山間の農場に真夜中に連れられてきて、寒風吹きすさぶ中でじっとしているなんて、苦痛でしかない。僕が何か悪いことをしたか? 何かの罰なの? これは。 「今回はかなり有力な情報だか…

桜桃、或いは未練

彼女が別れ話を切り出したのは、どこかちぐはぐなセックスを終えたところで、だった。嫌いになったわけじゃない、あなたより好きな人ができただけなの。どこにでも転がっている台詞だ。 最後だから、もう一度だけしましょう、互いを忘れられなくなるような愛…

インターセプター

えーっと、アルバム「インターセプター」を聴きながら、それぞれの曲についてコメントすればいいんですね。はい、リリースから10周年ていうことで。そうか、もう10年になるんですね。確かに「インターセプター」は、いろいろと重要なアルバムでしたから。み…

生け花

「旦那様。何をしてらっしゃるんですか」「ああ、番頭さんかい。今日は花を生けようかと思ってね」「花、ですか」「そう、花。一輪挿しなんか風流でいいねぇ」「さようですな」「一輪挿しはね、淡い色の花ももちろんいいけどね、濃い、はっきりとした原色な…

決戦兵器

「ようやく完成したので君に真っ先に見てもらおうかと思ってね」「光栄です、博士。最終決戦に向けての人類の英知を誰よりも早く目の当たりにできるとは」「さあ、この奥だ。……ああ、そこに段差がある。気をつけたまえ」「はい。……! これが!」「そう、最終…

可能性

たとえば、あなたに片思いをしている世界 たとえば、あなたが片思いをしている世界 たとえば、あなたと私がどこまでも愛し合っている世界 たとえば、あなたと私がどこまでも憎しみ合っている世界 たとえば、私なんていない世界 たとえば、あなたがいない世界…

知っちゃダメなの

「よーしカット! いい感じだよー」「監督、監督。ちょっと」「なんだ」「ちょっと小道具の方からですね」「なんかあったのか」「あの取り出した銃にサプレッサーつけるじゃないですか」「そうだよ、このドラマ ”知ってはいけない” のな、あそこでこう、スリ…

知ってはいけない

いま、この国は急激な成長を遂げている。残念ながら我が母国のことではない。東南アジアのとある国、その主要都市に俺はいた。抜けるような青空と白く流れる雲。それを徐々に削り取る高層建築物。まさにスカイスクレイパーという奴だ。どの国でもそうだが、…

もう一つの名前

「今日ね、”もたけゆしし”と”わみべつごら”がひゅうが君ちに来てたの」「”わみべつごら”は、”とままをいと”と仲がいいんだけど、”もたけゆしし”とは普通なの」「”とんぎぼしら”は暴れん坊だから、皆に嫌われてるよ」「みんなのお友達はね、”けそ”。”けそ”は…

おでんのかみさま

ぽちゃん。「おっと、うまく取れなかったぃ」「……お前が落としたのは、この大根かな? それともこのこんにゃくかな」「なんだお前は、突然おでん鍋から出てきて藪から棒に」「私は、神だ。それもおでんの神様だ」「そんな中にいて熱くないのかい」「喰いつく…

ピクニック

「今日はこの辺りにしようか」 僕は後をついてくる彼女に声をかける。彼女はただ黙って、小さくうなずく。あまり色気は無いんだけれど、ピクニックシートを敷いて、二人でその上に腰を掛ける。空は青空、最高だ。 僕はお気に入りのツイードのジャケットにハ…

実験

「この惑星にやってきてから、我々が第二世代となる」「この星の自転周期は、約184年、非常にゆっくりとしている」「ここで重要なことを確認しなければならない」「我々の少年時代からゆっくりと暮れていった陽が、2時間ほど前に完全に沈み、これから夜を迎…

30年目のデート

今度の日曜にちょっとドライブに行かないか、と切り出したのは隆の方からだった。そうなった場合にただ一人、家に残る予定の高校生の次男は、あまり関心も持たずにただ、行ってくれば、とだけ返した。まあ、この年頃なら両親が留守のほうが羽を伸ばせていい…

地口の旦那、再び

「あのね、番頭さん」「何でございましょう」「この間の寄り合いでね、ちょっと面白い噂を耳にしたんですけどね」「またしょうもないことを伺ってきたんでございましょう、旦那様」「相変わらずお前は口が悪いね。噂っていうのはね、この世の真理に関わるこ…

地口の旦那

「饅頭は目黒に限る」「のっけから間違えてます、旦那様」「私が本当に怖いものはね、秋刀魚なんだ」「まだ引っ張りますか、旦那様」「隣の部屋にありとあらゆる秋刀魚を取り揃えておいてだな」「豊漁ですな、旦那様」「今度はあっつぅーい海鮮鍋が一杯こわ…

情事のこと

女を抱いているときは大概そうだ。俺を上から見下ろす俺がいる。蛙のような格好で必死に腰を振る自分自身を眺めて、一時の情熱が急速に冷めていくのだ。それに加えて、目の前にある女の、べったりとした赤いルージュを引いた唇が俺の頭の中を一気に冷やした…

質問

「こんな手紙一通から、よくここまでたどり着けたものです。やはりあなたは評判通り優秀だ」「どんな評判か知りませんがね、有難いことです。それが私の財布を太らせてくれればいいんですがね」「確かに、依頼人の増えそうな評判はそんなに流れてませんね」…

鍵の解法

「持つべき者が手を掛ければたちまちのうちにその手中に収まる、か」剣士が誰にともなく呟く。「しかしこいつは岩には刺さってないぜ? ごつい鎖で宙吊りにされてやがる」ナイフを弄びながら、人相の悪い男が言う。「しかしながらこの刀身の文様や形状から、…

海三景

今までに見た海。中でも好きなものを並べてみます。ただし、どれもその時でしか見られなかったものばかりですよ。 1.観音崎から沖合を望む風景 横須賀美術館から観音崎灯台のバス停まで歩いて、横須賀行のバスを待ちながら沖合を眺めた時。明らかにスケー…

書け!

……ええ、そうなんです。ここのところ夜になるたびに、部屋の片隅から不可思議な音が聞こえるんですよ。こう、ペンの軋る音のようなね。 ゆんべなんかは、その正体を確かめてやろうと、こう、ずっと起きてましたらね、出てきましたよ、なんかよくわからないの…

背徳、悦楽

この屋敷の中庭には、プールがある。ただし、中庭へのアクセスはそう簡単ではない。いくつかの部屋を通り過ぎ、からくり仕掛けの扉を抜けて、ようやくたどり着くことができる。つまりは誰にも来てほしくないわけだ。そんなところに、僕は偶然だが辿り着いて…

Japanese Blues

まんま演歌だよな、と思う。繁華街から外れた小さな居酒屋で、今こうしてコップ酒を呷っている自分自身を思うと、可笑しくなってくる。ついさっきまで一緒にいた女、こう呼んでも今日は許してくれるよな、は、さっき逃げるように帰っていった。泣いていたの…

残酷な実学

熱帯雨林を思わせる森の中。道に迷った男が老杉にもたれかかり座っていた。 男の目の前には、一本の胡瓜。疲労困憊、空腹ではあるが、男は悩んでいた。 先刻、何かが男に囁いた。 ”わたしは、さいきん、ゴウ、という、ことば、を、おぼえた” ”ごう、ッテ、ド…